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17歳のとき、来日していた男性と結婚して
ソン・チャスンさん
(女性 81歳)
足跡:慶尚南道?→大阪→広島→青森→鹿島田→桜本
 
《慣れない日本での暮らしと嫁ぎ先のやさしい家族》
 主人は韓国には働く仕事ないからって、14才の頃から日本に来て働いていた。そしてお嫁さんさがしに日本から韓国に来た。
 主人は大変やさしい人で、昼間働いて、夜勉強して、夜わたしにつきっきりで日本語や生活のしかたなど教えてくれた。しゅうとめもおしえてくれた。その時はしゅうとめが家の実権をにぎっていた。はじめは何も解らず、日本人にいつもバカにされて泣いていた。だからいい思い出ない。でも主人はやさしく教えてくれた。根気よく教えてくれたので、これだけ日本語も話せるようになった。主人といっしょにいた時は、苦労したけど、主人がいたので何でも助けてくれて一番よかった。主人は勉強家だったから知らないことないくらいいろいろなこと知っていて、わたしに教えてくれた。
 その主人が徴用にとられ、いなくなり困った。主人もいないし生活できないから、自分でドブロク作って売った。1升70円か80円だったかな? そしたら近所の人、密告して、警察がきた。丁度つくっていた時だったので、しゅうとめとわたしは、手錠かけられて警察につれてゆかれた。しゅうとめはすぐ帰されたが、わたしは帰れず一晩泊らされて帰ってきた。しゅうとめが「嫁ハ悪クナイ、命ツナグタメニシタンダ」と云って謝ってくれたがだめだった。そして主人の親の兄弟、おじさんが1人いて、助けに来てくれた。
 
<音声データなし>
 
 語り手の方々のことばです:
戦争っていうの、もうこりごりだ!
時代の流れ
看護婦の勉強をしながら...
タミコちゃんが生きていたら会いたい
「女は勉強しちゃいけない」って、不思議でしょ
勉強家だった夫の思い出
戦争になる前の小学校で
慣れない日本での暮らしと...
皇国臣民化教育
結婚して1ヵ月後、夫が徴用されて
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!