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日本生まれの二世/9歳で韓国へ/50歳で再渡日
親の仕事/結婚させるため親戚が呼び寄せた
ムン・ソファさん
(女性 70歳)
足跡:東京→山口→釜山→蔚山→ソウル→川崎
 
《看護婦の勉強をしながら病院で働いていた頃、ユギオ(朝鮮戦争)勃発》
 こんなことがありました。釜山港で働いていた避難民が海に落ちて怪我をして、はるばる蔚山(ウルサン)の私が働いていた病院にきたんです。陸軍病院ではなく一般病院の方に入っていましたが、お金がないから治療をしてもらえないんです。それで、私は悪いと思いつつ、こっそり消毒したり、ペニシリンやマイシンなどを病院から盗んで打ってあげたりしました。その当時は、もう、釜山からアメリカ軍をつうじてそうした抗生物質は入っていました。
 (あるとき見つかって)係の人にぶたれて怒られましたけど、その人も私がお金儲けをしたわけでもないことが分って、「もうやらないで」と許してくれました。そして、自分も食べる物をあげたりしてるんです。「あんたがするから、私もしないわけにはいかないでしょ」といいながら。
<肉声をお聞きください>
 
 
 語り手の方々のことばです:
戦争っていうの、もうこりごりだ!
時代の流れ
看護婦の勉強をしながら...
タミコちゃんが生きていたら会いたい
「女は勉強しちゃいけない」って、不思議でしょ
勉強家だった夫の思い出
戦争になる前の小学校で
慣れない日本での暮らしと...
皇国臣民化教育
結婚して1ヵ月後、夫が徴用されて
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!