hist016
親に連れられて。強制ではない(1歳ぐらい)
ビョン・ウルスンさん
(女性 80歳)
足跡:韓国慶尚南道金海郡→大阪→福岡へ疎開→品川→川崎

韓国に行くのもたいへん〉
 「私、ずいぶん行きましたよ向こう。韓国。ずいぶん行きました。私がその時は元気で働いていた時はね行ったけど、今は体も弱いし、目も悪いし耳も悪いし、全部悪いから、働かないし、だから全然。」
──ここにいる人も、おみやげを持って来ないとね、それが大変みたいですね。「それなんですよ。話にならない。」(中略)「向こうにいくと、日本から来た人みんな金持ちだと。こんなに苦労して働いてるのにね。みんな、日本行ったら言うことがあるの。日本行ったらね、お金拾うのに腰がいたい、(笑)、そういうことわざがあるのよ。」
──韓国語でそういうふうに言うんですか「イルボネカミョン、トヌレ、ホリガアッパ、モンジョヌンダ。日本へ行ったら腰がいたいから金を拾えない、くらい金があるんだって(笑)。そういうたとえがあるの。だから日本から来た人、みーんなこれ持ってきてるんですよ。冗談じゃないっていうの。」

〈戦争参加を免れる〉
 私が結婚してすぐ。大阪だか布施だかにいた時にね。掃除をしてたらね、「書留です」って、おかしいなどこからきたんだろと思って、はんこをやって、もらってみたら、このくらいの葉書で、これなんだろうって、よく赤紙っていってたからね。だんなは仕事に行っていない。これをもってお父さんのところに走ったの。「お前大変なものをもらったじゃないか」って言うの。あれをもらったら行かなくちゃいけない。(略。父は)「だまってついて来い。うち帰って荷物まとめな。荷物まとめて逃げろ」っていうんですよ。(中略)その意味は私全然聞いてないし、どうしても、ともかく私に早く逃げろって(笑)。「だんな帰って来たら、荷物はどうでもいいから、適当にまとめて、早く旦那の知ってるところに、九州でもどこでも行け」って。それで九州、苅田って所にいったんです。それでそこに。ふふふふ(笑)。
──なんで行ったかわかんなかったですよ(笑)。
私も記憶がね。しゃべってるうちに、だんだんね。やっぱり悪いことした人は、しゃべってるうちにぼろ出すの。(笑)それも忘れてたの。いまふっと思い出して。
──日本人は戦争賛成でしたから、みんな行ったんですけど、朝鮮人は逃げた人が多いんですよ。立派なことですよ。戦争に行かなかったことは。
 〈魚にまつわる思い出〉
 「お父さんがどこ行って買ってくるんだかわからないけれど、その当時は魚をね、今はあれですけど、こんな板みたいな、木箱、太刀魚が一匹入るぐらいの。その当時ね、韓国の人が好きな魚は、太刀魚、にしん、いわし。そういうのが好きだったんですよ。いまでもそうですけどね。たらも。(中略)それを箱ごと2・3個ね、買ってきて、それをぜんぶ塩漬けにする。冷蔵庫がないから。全部塩漬けにして、それを親戚に全部分けてあげる。わけてやったり、また、塩漬けしてつぼの中にいれておいて、それを今度食べる時は、それは特にお父さんのおかずなんだよね。特にね。そしたらそれを出して、何であれするかというと、米のとぎ汁、それをとってそこにつけといて、焼いたり煮たり。そういうことを私は小さい時に見たんです。昔は米のとぎ汁をよく利用しましたよ。あれを一回といで捨てて、よーくこうして、きれいな白いあれがでたら、それをとっておいて、ご飯炊いた後、そこへ煮て、お茶がわりにそれを入れてたの。そうやってたの。お茶ない時それはお茶だって。おこげがあればもっと香ばしくておいしいんだけどね。」
──韓国語で何ていいましたっけ。
「スンニョン。」
──魚はお父さんが食べたんですね。
「お魚はお父さん。私が魚が好きでね、お父さんのそばに座って、食べてるところを、ちぎっては私にくれるのかと思ってね、見たら、自分の口の中に入れて。そうしたら私が上見たり下見たりしたら、お父さんが何を言うかといえばね、今度オルスニが大きくなったら船乗りに嫁に。(一同笑) なんで船乗りかっていえば、魚がとれるからって(笑)。」
 
 
 語り手の方々のことばです:
戦争っていうの、もうこりごりだ!
時代の流れ
看護婦の勉強をしながら...
タミコちゃんが生きていたら会いたい
「女は勉強しちゃいけない」って、不思議でしょ
勉強家だった夫の思い出
戦争になる前の小学校で
慣れない日本での暮らしと...
皇国臣民化教育
結婚して1ヵ月後、夫が徴用されて
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!