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出稼ぎに来ていた父母に合流するため
キム・ユスンさん
(女性 80歳)
足跡:慶尚南道→東京→川崎→東京→横浜→川崎
 
《勉強家だった夫の思い出》
 (夫は)本当にたまにしか働かない、いつもね、ネクタイ締めてスーツ着てるんですよ。それで仕事ができるわけないね。
中村「川崎の思い出っていうとどういう?」
キム「思い出っつってもね、あのう私の思い出は無いんですけど、主人がね人を集めるのがとても好きな人で、多摩川で花火なんかやるでしょう。遊びに来い遊びに来いて言ってね、飲んだり食べたりして遊ばせるんですよ。その時仕事すんのが私でしょう。・・そういうのが良い思い出ですかね。花火をやるっつたらおいでおいで・・(笑)。」
(略)
中村「旦那さんがお客さんを連れて来て・・。」
キム「それでまたね、桜の花が咲く頃のなるとね、花見に行こう花見に行こうって、毎日のように電話をして遊ぶんです。それでも多い時で100人は集まりましたよ。そういう事してるのが好きだった人みたいね、私が一人でカリカリして(笑)。」
中村「それはだって大変なのはお母さんですもん。」
キム「でもやっぱりしょうがないですもんね、みんなが喜ぶ顔見てると、たまに一年にいっぺん、お花見の時に顔見ると嫌な事なんか忘れちゃうんですよ。やっぱりそういうのが良い思い出なのかな。」
 
<音声データなし>
 
 語り手の方々のことばです:
戦争っていうの、もうこりごりだ!
時代の流れ
看護婦の勉強をしながら...
タミコちゃんが生きていたら会いたい
「女は勉強しちゃいけない」って、不思議でしょ
勉強家だった夫の思い出
戦争になる前の小学校で
慣れない日本での暮らしと...
皇国臣民化教育
結婚して1ヵ月後、夫が徴用されて
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!