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17歳のとき、百姓するより日本に嫁に行くのがいいと姉が勧められて
チョン・スネさん
(女性 82か83歳)
足跡:忠清南道→長崎→佐賀→川崎
 

《戦争っていうの、もうこりごりだ!》
 いちばん、初めてできた子どもは、男の子。わたしが18の歳の晩に、これが12時になっとればね、12時になれば、明日、18よ〜っていったときに生んだ子ども。いや〜! 子どもできても、どうしようもねえよなー!
飛行機、ぶーって来て、夜中にも寝られないよ。空襲警報、警戒警報、空襲警報、警戒警報…。なんども。年じゅう。ぜんぜん、火なんかつけていられない。「空襲警報!」っていったら、逃げるでしょう?「警戒警報」っていったら出てきて。それで、ご飯の火、つけるでしょう? あんた、火、つけたら、「空襲警報!」って。もう、水、水で消す。で、防空壕に走るんだから。子ども抱くひまもないよ。自分の命[で精一杯]。そういうふうだったんだよ。ほ〜んとに。もう戦争っていうのが、いちばんいや。
いや〜! 戦争っていうの、もうこりごりだ! おうてもない人、わかんねえだろうけど。二度と遭いたくない。あんときまだ、歳も若かったけど。今[遭ったりしたら]とってもじゃない。

<肉声をお聞きください>
 
 
 語り手の方々のことばです:
戦争っていうの、もうこりごりだ!
時代の流れ
看護婦の勉強をしながら...
タミコちゃんが生きていたら会いたい
「女は勉強しちゃいけない」って、不思議でしょ
勉強家だった夫の思い出
戦争になる前の小学校で
慣れない日本での暮らしと...
皇国臣民化教育
結婚して1ヵ月後、夫が徴用されて
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!