hist006
来日していた男性との結婚を決められて(17歳)
キム・イムスさん
(女性 80歳)
足跡:
慶尚北道大邱市→東京→鶴見

〈人を信じる〉
 10年ほど前に人の借金の保証人になって、お金がなくなりました。実は、その前にわたしがマンションを買うときに、在日だけど日本生まれの若い人が保証人になってくれました。それで、その後、その人の保証人になってあげたりしていたんだけど、その人が工場経営に失敗して逃げちゃったので、借金の形に住んでいたマンションを取られそうになりました。わたしのマンションはその人と共同名義になっていたらしいけど、その人がお金を出してくれたわけでもないから、なんとか私名義に変えて、裁判所にも行ったけど、売って借金を返すことができました。字が読めないから、人を信じなきゃ仕方がない。相手の言うことを信じてやります。だからわたしは世の中を渡るのが下手なのです。

〈密航してきた義弟の親代わり〉
 1948年ころだったと思いますが、夫の弟(当時12歳)が釜山から日本に密航しました。親を亡くし、むこうではトコロテンくらいしか食べるものがなく、やせ細っていました。私は親代わりになり育て、学校にも行かせてやりました。(中略)弟が学校を出てから16、17歳になったとき、刑事だと思うが、人が来ました。「学校に通っていたうちは見逃していたが、卒業したのでどちらかに帰れ」と言われました。韓国に帰ることは考えられず、北に行くことにしました。船が出る新潟まで一緒に行きました。
<音声データなし>
 
 語り手の方々のことばです:
戦争っていうの、もうこりごりだ!
時代の流れ
看護婦の勉強をしながら...
タミコちゃんが生きていたら会いたい
「女は勉強しちゃいけない」って、不思議でしょ
勉強家だった夫の思い出
戦争になる前の小学校で
慣れない日本での暮らしと...
皇国臣民化教育
結婚して1ヵ月後、夫が徴用されて
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!