hist014
母が夫を追って来日していたところに呼び寄せられ(16歳)
パク・トゥレさん
(女性 79歳)
足跡:
韓国慶尚南道蔚山→川崎

日本語がわからなかった頃、機転で克服〉
 来たばっかりの頃は日本語分からないから、「これくれ」って言えない。指差して、お金渡して買うだけ。細かいいくらって分からないから、大きいお札を出してお釣を貰っていた。卵は今は外に出してあるからわかるけど、昔は中にしまってあったから見えないの。その日は、お父さん仕事に行ってお昼に帰ってくるから「卵焼いて、おかず作っておけ」って言われて。買いに行ったのはいいんだけど名前忘れちゃって、どうしようとぐるぐる回って考えて。足の下に石を落として、「コケコッコー」って言ったら、「あぁ、卵ですか」ってわかって買えた。それだけ頭使った。その話をすると皆大笑いするんだけどね。

 
 
 語り手の方々のことばです:
戦争っていうの、もうこりごりだ!
時代の流れ
看護婦の勉強をしながら...
タミコちゃんが生きていたら会いたい
「女は勉強しちゃいけない」って、不思議でしょ
勉強家だった夫の思い出
戦争になる前の小学校で
慣れない日本での暮らしと...
皇国臣民化教育
結婚して1ヵ月後、夫が徴用されて
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!