hist020
結婚して(18歳)
カン・トッチョルさん
(女性 80歳)
足跡:韓国慶尚南道→東京→鶴見→埼玉→鶴見

〈日本に憧れていた〉
 (おばが)日本の新宿にいるわけよ。暮らしがよかったからよくいろんなもの送ってくれたの。そういうの見てから、「日本はやっぱりいいんだ、日本はいいんだ」って思ったのよ。私も日本へ行ってみたいなぁって気になって。ちょうどおばさんが帰ってきて、たまたまそういう話(縁談)もちだしたから、親が「おまえ、日本行くか」って聞くから、「うん、日本行く」って喜んで乗り気になっちゃって。

〈口うるさいがかわいがってくれた姑〉
 おばあちゃんは口がうるさいから、子供10人産んだから。ところが、おじいちゃんは小柄で、のんびりしてて、年中碁ばっかりうって、あまり仕事しなかった。おばあちゃんのおかげで、子供たちみんなここまで来てるんだよ。しっかりしてるから。子供たちみんな学校行かせてね。有り難いおばあちゃんですよ。それで私に言うことはね、「あがあが」って向こうの言葉で嫁のことなんですよ、良い言葉なんですよ。「お前も50歳になったら、旅行行ったり、たばこも吸ってお酒も飲みなさい」って言われたんですよ。それから、私も旅行行ったり、友達作ったり、その前は外に一切出ない。夕方買い物に行くだけ。毎日家のこと、買い物行って9人のごはん作って、そうやって50年間すぎましたよ。今はもう旅行でもどこでもあちこち行きますけど。(笑)
 
 
 22名の語り手の方々のことばです:
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!