親に連れられて。強制ではない(1歳ぐらい) |
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ビョン・ウルスンさん
(女性 80歳) |
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足跡:韓国慶尚南道金海郡→大阪→福岡へ疎開→品川→川崎
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〈韓国に行くのもたいへん〉
「私、ずいぶん行きましたよ向こう。韓国。ずいぶん行きました。私がその時は元気で働いていた時はね行ったけど、今は体も弱いし、目も悪いし耳も悪いし、全部悪いから、働かないし、だから全然。」
──ここにいる人も、おみやげを持って来ないとね、それが大変みたいですね。「それなんですよ。話にならない。」(中略)「向こうにいくと、日本から来た人みんな金持ちだと。こんなに苦労して働いてるのにね。みんな、日本行ったら言うことがあるの。日本行ったらね、お金拾うのに腰がいたい、(笑)、そういうことわざがあるのよ。」
──韓国語でそういうふうに言うんですか「イルボネカミョン、トヌレ、ホリガアッパ、モンジョヌンダ。日本へ行ったら腰がいたいから金を拾えない、くらい金があるんだって(笑)。そういうたとえがあるの。だから日本から来た人、みーんなこれ持ってきてるんですよ。冗談じゃないっていうの。」
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〈戦争参加を免れる〉
私が結婚してすぐ。大阪だか布施だかにいた時にね。掃除をしてたらね、「書留です」って、おかしいなどこからきたんだろと思って、はんこをやって、もらってみたら、このくらいの葉書で、これなんだろうって、よく赤紙っていってたからね。だんなは仕事に行っていない。これをもってお父さんのところに走ったの。「お前大変なものをもらったじゃないか」って言うの。あれをもらったら行かなくちゃいけない。(略。父は)「だまってついて来い。うち帰って荷物まとめな。荷物まとめて逃げろ」っていうんですよ。(中略)その意味は私全然聞いてないし、どうしても、ともかく私に早く逃げろって(笑)。「だんな帰って来たら、荷物はどうでもいいから、適当にまとめて、早く旦那の知ってるところに、九州でもどこでも行け」って。それで九州、苅田って所にいったんです。それでそこに。ふふふふ(笑)。
──なんで行ったかわかんなかったですよ(笑)。
私も記憶がね。しゃべってるうちに、だんだんね。やっぱり悪いことした人は、しゃべってるうちにぼろ出すの。(笑)それも忘れてたの。いまふっと思い出して。
──日本人は戦争賛成でしたから、みんな行ったんですけど、朝鮮人は逃げた人が多いんですよ。立派なことですよ。戦争に行かなかったことは。 |
〈魚にまつわる思い出〉
「お父さんがどこ行って買ってくるんだかわからないけれど、その当時は魚をね、今はあれですけど、こんな板みたいな、木箱、太刀魚が一匹入るぐらいの。その当時ね、韓国の人が好きな魚は、太刀魚、にしん、いわし。そういうのが好きだったんですよ。いまでもそうですけどね。たらも。(中略)それを箱ごと2・3個ね、買ってきて、それをぜんぶ塩漬けにする。冷蔵庫がないから。全部塩漬けにして、それを親戚に全部分けてあげる。わけてやったり、また、塩漬けしてつぼの中にいれておいて、それを今度食べる時は、それは特にお父さんのおかずなんだよね。特にね。そしたらそれを出して、何であれするかというと、米のとぎ汁、それをとってそこにつけといて、焼いたり煮たり。そういうことを私は小さい時に見たんです。昔は米のとぎ汁をよく利用しましたよ。あれを一回といで捨てて、よーくこうして、きれいな白いあれがでたら、それをとっておいて、ご飯炊いた後、そこへ煮て、お茶がわりにそれを入れてたの。そうやってたの。お茶ない時それはお茶だって。おこげがあればもっと香ばしくておいしいんだけどね。」
──韓国語で何ていいましたっけ。
「スンニョン。」
──魚はお父さんが食べたんですね。
「お魚はお父さん。私が魚が好きでね、お父さんのそばに座って、食べてるところを、ちぎっては私にくれるのかと思ってね、見たら、自分の口の中に入れて。そうしたら私が上見たり下見たりしたら、お父さんが何を言うかといえばね、今度オルスニが大きくなったら船乗りに嫁に。(一同笑)
なんで船乗りかっていえば、魚がとれるからって(笑)。」 |
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