hist004
仕事に来ていた兄を追って渡日(14歳
ソ・ユスンさん
(女性 80歳)
足跡:韓国慶州南道→東京→静岡→名古屋→戦後韓国へ→川崎

(年老いて韓国を思う)
 韓国にも行きますよ。従兄弟とかいるから。親のお墓もあるし。やっぱり、ここが長いからね。韓国は生まれた故郷だけれど、住んでいるのはこっちの方が長いから、自分の国とは思うけど、なじまない。長くは住めない。行くと15日とか、親戚が転々といるから、回るとそうなっちゃう、やっぱり行ったついでにね、みんなに顔を見せます。

〈孫が料理を教えてというが〉
今でもキムチは自分で作るし、カクテギなんかも漬けるんだけれども、子どもも孫も、「やっぱりおばあちゃんが漬けたやつが美味しいや」って言ってくれるの。あと、おべった、チヂミね。ニラとタコとイカを刻んで入れて作るんだけれども、「おばあちゃんのが美味しいから、作り方、教えてよー」って言うんだけれど、実際に教えた事はまだないの。忙しいんだって、家でも、テレビ見るのに忙しいって。
<肉声をお聞きください>
 
 22名の語り手の方々のことばです:
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!