hist015
来日(20歳)
キム・ボッピルさん
(女性 85歳)
足跡:韓国慶尚南道蔚山市→大阪→静岡→兄のいる川崎へ

〈今考えれば、人間じゃなかった〉
 夫が亡くなったとき私は42かな。それから無我夢中で働いた。4人子どもがいるから。一番下の子が二十歳になるまでは生きていなくちゃって。二十歳になれば、自分で働いてどうにか生きていけるでしょ。仕事は半田付けとか組み立てをした。途中、会社が羽田の方に引っ越しちゃったから、川崎から2時間かけて通ったよ。仕事が終わらないときは家へ持って帰って、夜中の2時、3時まで内職した。だからタイムカード2枚持ってたの。私だけだったよ。40時間かな、規定があるんだよね。その時間を過ぎたら残業付かないから、残業しない人のタイムカードを借りてた。その人は私の立場を分かって貸してくれたの。

<肉声聞けます>
 
 
 22名の語り手の方々のことばです:
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!