〈今考えれば、人間じゃなかった〉
夫が亡くなったとき私は42かな。それから無我夢中で働いた。4人子どもがいるから。一番下の子が二十歳になるまでは生きていなくちゃって。二十歳になれば、自分で働いてどうにか生きていけるでしょ。仕事は半田付けとか組み立てをした。途中、会社が羽田の方に引っ越しちゃったから、川崎から2時間かけて通ったよ。仕事が終わらないときは家へ持って帰って、夜中の2時、3時まで内職した。だからタイムカード2枚持ってたの。私だけだったよ。40時間かな、規定があるんだよね。その時間を過ぎたら残業付かないから、残業しない人のタイムカードを借りてた。その人は私の立場を分かって貸してくれたの。
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