hist010
来日(17歳)
キム・ソニさん
(女性 86歳)
足跡:韓国慶尚南道→川崎→疎開で船橋・錦糸町へ

〈いまも唄を歌えない理由〉
山田:善伊さんはなぜトラジで歌を歌わないのですか?
善伊:私歌えないのですよ。あんなに苦労して生きてきたから歌を習う暇もなかったしね。
山田:覚える暇もなかった?
善伊:暇もないし。こっちに来て歌えるのなんかアリランとかしか知らないし。
文善:アリランとかトラジとかね。それは知っているのよね。
善伊:昔育ったときはやったけど、それも忘れちゃったのよ。
文善:若いときはね。やらないと忘れちゃうのよね。
山田:でも子どもを育てるときは子守唄とか歌うでしょ?
善伊:そんな子守唄なんて。
山田:そんなのんきな子育ては出来ないのですね。
文善:できないですよ。
善伊:できないよ。暇がないのだから。
文善:子どもを抱く暇もない。

<肉声聞けます>
 
 
 22名の語り手の方々のことばです:
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!