hist011
徴用された父を追って(3歳か4歳)
ヨ・ウルラムさん
(女性 81歳)
足跡:韓国慶尚南道(大邱の近く)→福井→川崎

〈泣く泣く結婚〉
 18か19の時も、まだ嫁に行きたくなかったの。(中略)だんなさんになるの(人)を見たこともない。親同士で決めて、こっちは名字がいいなら筋道がいいとか、うち柄がいいとか見て。本人関係ない。仕事行ってたらね、「お前、いついつ嫁に行くんだから仕事行かないでいい」って言うんで。泣いたよ〜。行きたくないって言っても、日取りも親同士で決めちゃって。(中略)「お前、行かなかったら、白紙で徴用で引っ張られるんだから、嫁行けば親の近くでもいられるんだから、嫁行かなきゃダメだ」って。しょうがない、親が決めたことだからね。みんながそうするんだから。全部、周りがそうなの。おんなじ。嫁行くっていったら、今は見合いとか何とかあるけど、何。

<肉声聞けます>
 
 
 22名の語り手の方々のことばです:
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!