hist019
結婚するため(18歳)
イム・サミさん
(女性 83歳)
足跡:韓国慶尚北道サンジュウ→大阪→横須賀→川崎

〈こどもの頃〉
 子どものときはみんなハクソウヤしてたよ。髪の毛もこんなん(短く)じゃないよ。毛、伸ばして長くして、編んで、下に赤いリボンみたいのして。かわいくてよーく村で言われた。それと、私、はしかを12歳でやったんだよ。韓国で。12歳でそれやって大きくなったんだよ。今でも忘れないね。ボーっとしてるとそういうの思い出すよ。あとね、韓国で髪が長かったとき、ヌルキギしたのよね。シーソーみたいなの。立って遊ぶやつ。髪の毛、赤いリボンで結わいてただろ、チョゴリ着てたろ。きれいだったよ。そういうの忘れてないよ。

<肉声聞けます>
〈来日していた男性との結婚を決められて渡日〉
 プサンで連絡船に乗ってね。学校行ってなかっただろ。自分の名前1つ書けなかったんだ。1,2,3も分かんなかった。チョゴリとチマ着て、胸のここ(紐の下)に手紙入れて、大阪着いたら、そこで誰でもいいから手紙を見せろって。(略)これ見せれば、ここでOKだよって教えてくれるから。(略)もう、連絡船乗ってきたでしょ、汽車乗ってきたでしょ。乗ったことないから、ぐるぐるぐるぐる目が回っちゃって、吐いた吐いた。気持ち悪くて。連絡船は一晩半かけて下関に着いたからね。酔っちゃって、目はへこんでるしさあ。(略)泣いたよ。イルボン行くときは。遠いとこいけば会えるか会えないか分からない。それが複雑な気持ちになっちゃって、涙がポロポロじゃないよ、流れる。もう雨が降るみたいに流れる。ウンマと別れるのが嫌でな。日本に行けば、行くことも来ることもできないとこでしょ。もうお母さん見るのも終わりだなーっと思って、涙がもう、雨よりもひどいよ。
<肉声聞けます>
 
 
 22名の語り手の方々のことばです:
炭鉱労働の傷あと
夫がハンサムだから苦労が目に見えてた
戦争中、子供を連れて逃げた
解放後、浮いたまんまになった
みそ・しょうゆ作り
字が読めないから人を信じなきゃ仕方ない
九州に徴用された夫について来日
川崎より住みやすいところはない
募集に応じて日本へ
歌うどころじゃなかった
親同士で結婚を決められちゃって泣いたよ〜
年がいって、韓国人が恋しくなる
徴用されないよう、十四歳で結婚した
嫁に来たとき、言葉もわかんないし、何も知らなかった
いま考えれば人間じゃなかった
赤紙が来た
植民地になったのを、忘れはしないけど許すことはできる
日本の戦争、朝鮮動乱。私は本当、戦争犠牲者。
泣いたよ、イルボン行くときは
日本にあこがれていた
キムチは買ったことがない
朝鮮人を犯人扱いするとは何ごとか!