飯島彩音 / 学生
Kさんのお話に何度も出てきた言葉。「時代だから」「運命だから」「特別な苦労はしていない」 何度も繰り返されるこの言葉。「この方は、本当に必死に生きてきたんだな」と感じた。その時々、大変な思いをしてきて、それでもがんばらなければいけない自分を、上のような言葉で奮い立たせてきたんだろう。
心の片隅では、ちゃんと自分が苦労してきたこと、がんばったことを認めているように思えた。それでも、自分の境遇を全身で受け止めて、前に進もうとするからこそ、自分を上のような言葉で説得して、歩き続けてきたんだろうと思った。
Kさんは「時代だ」と自分に言い聞かせて歩いてきたけれど、やっぱり、「朝鮮人」という境遇が大きく影響しているのは疑いのない事実だと思う。私の祖母はKさんとほぼ年齢は変わらないけれど、働きに出てなどいないと思う。旦那さんを早くになくしているけれど、仕事に追われたことなどないだろう。
私がなにより悲しくなったのは、Kさんの子どもたちに対する「悪いねぇかまってあげられなくて」という話を聞いたときだった。Kさんは悪くないのに・・・。もちろんKさんのお子さんたちには、Kさんの思いは伝わっているのだけれども、Kさんがそのように負い目を感じなければならないことが、私には悲しかった。
Kさんや旦那さんの生活が、「朝鮮人」というところに押し込められていたからこそ、貧しかったし、働かなくてはならなかったと、私には感じられたのだ。
苦しい経験をしてきた在日韓国・朝鮮人の方自身が、「時代」や「運命」のせいにしてきたこと、その原因が本当はなにに起因しているのかを、私はしっかりと見定めなくてはならない。もっと子どもたちとの時間も取れたかもしれないKさんの生活を、仕事尽くしにしたのは、旦那さんの病気のせいだけじゃないはずだ。そんな社会構造を見直す意味でも、Kさんのお話を大事にしていきたいなと思った。
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