中村裕之 / 高校教員 / 聞き書き 断章
5歳のときひとりで日本に来ることを余儀なくされ、激しい差別や言葉の壁と戦いながら70余年を全速で走り続けるように生きてきたハルモニのお話。2日間に亘り、元気いっぱいに明るく生きるハルモニからお話を聞けたことは、生きることという個人のレベルから歴史や日本社会という社会のレベルまで大きな衝撃と感慨を私に与えてくれた。まだまだ頭の中は混乱していてこの2日間を表出する言葉を私は持っていないが、いま感じたり考えていることをあえてあまり整理せずにばらばらな文や言葉として出してぶつけてみようと思う。
★ 「皇国臣民ナリ・・・」
釜山で関釜連絡船に乗せてもらうために必死に覚えた「皇国臣民ナリ・・・」という歌(誓詞)。ハルモニはこれを暗記しないと日本に連れて行ってもらえないと5日間釜山にひとりでいて覚えたそうだ。5歳の少女はそれでも日本に行きたい一心で頑張った。そして下関で落ち合うはずの義兄としばらく会えずに過ごした辛い日々。「あの時のことがあったから私は絶対負けない」というハルモニの言葉は、錐のように私の心に刺さってくる。
★ 「玉音放送」
今日は8月15日。メディアは首相の靖国神社参拝を過熱気味に報道している。ハルモニは1945年8月15日の玉音放送をどういう思いで聴いたのか、私はぜひ聞いてみたかった。ステレオタイプ的な歴史の知識しかない私は「独立できてよかった」類の答を期待していた。ところがハルモニは「食えなくて日本に来たので感慨がなかった」、「天皇の言葉の意味も分からないし、日本に来た以上私はここで生きるしかない」と言う。大変な苦労を日本社会でしながらも、たくましくそして着実にしっかりと生きていこうとする姿勢。リアリティを欠く自分の歴史認識。歴史を学ぶとはどういうことなのか、歴史を教えるとはどういうことなのか、いま自分の中で固くしこった部分が溶け始めている。
★ 「自分勝手に朝鮮人を呼び寄せておいて犯人扱いをするとは何事か!」
指紋押捺に反対する理由をハルモニはこう答えている。この頃私はもう仕事を始めていて、運動そのものはもちろん知っておりマスメディアの報道を見たり署名などをした記憶がある。しかし在日コリアンの思いを直接聞いたのは初めてだった。ある時は「日本人」とされある時は「外国人」と国家や歴史に翻弄されて、その中でも厳しくも明るくたくましく生きぬいた在日コリアンの思いが集約されている言葉だと思った。国家とは何か?日本とは何か?そして在日コリアンとはどういう存在なのか?と私の頭は前にもまして混乱している。
★ 「よろしくお願いします」
私たちへのメッセージを、と言われて答えてもらった言葉。これから孫やひ孫も日本で生活するので日本と仲良くしたい、という趣旨の言葉に続くハルモニの言葉。一体「よろしくお願いします」と言わなければいけないのは誰か?と強く感じた。私たちは何をしなければいけないのだろうか。
★ ★ そして・・・
ハルモニにはもっともっと健康で長生きしてほしいと切に願います。そしてもっともっとハルモニが生きた時代を語ってほしいと思いました。 |
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