金井美里 / 大学生
◆ 事前調査にて
普段授業で学んでいたような深刻な問題をイメージしながら事前調査に参加した。そのイメージ通りのことが現場で目の当たりにできると思っていたが、表面には見えてこなかった。三浦さんから歴史を伺いながら色々な施設や地域を回ったが、当時の様子は想像できなかった。それだけ、今までの自分の勉強が浅いものだったということを実感した。まずは、当時の歴史を分かっていないことから聞いたことのない言葉をたくさん耳にした。その一つに『濁酒(どぶろく)』がある。濁酒がお酒であることもわからなかったため、それ自体も想像できず、なんで摘発されたのか疑問だった。今になれば、お酒だから税金も絡んでくるし、勝手に製造し販売してはならないとわかるのだが、『ドブロクとは危険なものなのか?朝鮮人だから摘発されるのか?』などと、ちんぷんかんぷんだった。また、小学校で『京浜工業地帯』のことを学んだ記憶があるが、そんなに歴史が古いものだと知らなかった。埋め立て地で工業が盛んな地域であり、港で貿易を行っているということしか記憶にない。どちらかというと、現代の日本で貿易が盛んな地域で住民はあまりいない地域といった都会の一角的な印象しかない。誰がその埋め立て地を建設し、誰がその工場で働いていたのかということまで学校では習わない。自分の勉強不足でもあるが、大学で追究しなければ知識にはないというようなことではいけないと思う。自分がこのボランティアに参加したことで、川崎の歴史を触れることができたが、やはりこういった歴史や背景というものは義務教育の中で知っていく必要があると感じた。歴史の教科書を読んでいても、ただ暗記しなくてはならないものといった感じがして、何のために歴史を学ばなければならないのかという意味もわからず勉強させられているように思える。逆に、このフィールドワークはそういった教科書や本にあまり掲載されていない『歴史』というものを人間の生活の歴史や文化を交えながら体験していくから、今まで学んできた歴史の知識が意味のあるものだったということがここにきてやっとわかる。言い換えれば、フィールドワークを行わずに本から勝手にイメージして学んでいるだけでは無知の部分がたくさんあり、知に対しての欲求が深まらないと思う。『なるほど!川崎病とはこれが原因だったんだ。』などと、自分が持っている知識と新しい知が結びついたときに知の欲求がさらに深まる。そんなことから、もっと歴史を知りたいという気持ちと、日本の教育に対して改善したい気持ちがより深まった。
また、猿橋先生の指導による『聞き取り調査の仕方』で、初対面の人と話をする練習はやっておいて良かったと思う。初対面の人と違和感なく話を進め、その人のプライベートを聞き出し、気持ちの距離を縮めていくことはそう簡単なことではない。相手にどう思われているか気になったり、相手に対して失礼なことを尋ねていないだろうかと不安になったりして、どうしても当たり障りのない表面的な会話になってしまう。それを聞き取り調査の事前に実感することができたから、当日はコミュニケーションの仕方についての余計な心配は特にはなかった。聞き取り調査といっても、メモばかりとるような一方的なコミュニケーションではないということを事前に理解しておいたことは大きい。
◆ お話を伺っての感想
私がお話を伺ったのは、今年80才を迎えるキム・インスさんというおばあちゃんだった。初日、美人で大人しそうな人だと思ったので、会話を弾ませるのが難しかった。トラジの会のおばあちゃんたちは『踊りを踊ったりしてとても元気いっぱい』と聞いていたから、そのイメージが強くてそのギャップに戸惑った。自分からあれこれ話してくれる人ではなく、こちら側から質問をしないとあまり話してくれなかったから何を質問したらよいのだろうかと戸惑った。それだけ、自分が相手任せにしてこの調査に取り組んでしまっていたのだと思う。『相手がしゃべってくれるだろう。』といったような甘えがあったから、『あれを聞いてみたい』といったものも特になく、自分たちが尋ねていることは妥当なのだろうかと不安になってしまった。他のグループは順調に進んでいるように思えた。一緒のグループになった大師高校の教諭、島本篤エルネストさんにほとんどの質問をまかせきりにしてしまった。それにも関わらず、島本先生が質問されていることは、今回のボランティアのテーマに合っているのだろうかと疑問を感じてしまった。どうしても、苦労したことなど、難しい問題を頭にイメージしていた私は、ただ単に『プライバシーを探っているだけ』のようにしか思えなかった。キムさんが『病気をしました。』と言ったら、『それはどんな病気だったんですか?』と病名まで聞くことに対し、『そこまで聞く必要があるのだろうか?』と、私としてはあまり気が進まなかった。在日のおばあちゃんの聞き書き調査であるから、少し脱線しているような気がしてしまったのだ。在日のおばあちゃんならではのことを聞かなくてはならないような使命感が強かった。途中休憩の時に、他の元気の良いおばあちゃんと話をしている様子を見ていて、『私は何にも話すことなんてないのに…。』という言葉を発していたし、そのおばあちゃんと話している雰囲気と自分たちと話している雰囲気は異なるものだったから、『自分たちのことをどう思っているのだろうか?心を開いてくれてないのかもしれない。』と益々不安になった。しかし、帰宅してもう一度今回の聞き書き調査の目的について書かれたプリントを読んでみたら、自分たちがやっていたことは決して間違いではないと思った。むしろ、それで良かったんだと思えた。なぜならば、『おばあちゃんたちは日本語の読み書きが出来ないから、自分の人生を思い出しながら文字という記録に残して色々な人に伝えることができない。だから、今回わたしたちがこうやってその記録のお手伝いに来ているんだ。』と再確認できたからだ。それを行うには、やはりその人のプライバシーに関わることまで知らなくては書けないのかもしれない。それに気づくまでの私は、自分のことしか考えていなかったのである。『在日のおばあちゃんたちが日本で辛い人生を送ってきたことを知りたい。』といったように、自分の研究に焦点を当てた意識でボランティアに参加してしまっていたのだ。言い換えればボランティアという名の研究を行おうとしていたのだ。確かに、このボランティアがきっかけで自分研究に繋げていくということは悪いことではない。しかし、今回はやはりあくまでも第一におばあちゃんたちのことを考えなくてはならなかったのだと思う。果たして、私のようなミスを犯しそうだったのは私だけだろうか。もしかしたら私以外にも『ゼミの一環だから。』といったような意識から難しく考えてしまって、本来の目的を忘れてしまっていた人がいるのではないだろうかと思う。
実際にお話を聞いてみて、『日本で辛い目に遭った。差別された。』などというようなことは耳にしなかったから、余計に『一人のおばあちゃんの話を聞いている。』といったような印象を受けた。『私は大変だった。』というような言葉を聞いていたら、『やっぱり教科書や本通りの生活だったんだ。』と他人事のように感じていたと思う。逆に、そういう言葉を聞かなかったから『一人の女性の人生』を歴史を交えながら聞くことができたのかもしれないし、『自分がその時代に生まれ、その立場だったら…。』と、人ごとではなく聞き入ることができたのだと思う。やはり、お話を振り返ってみるとその時代を必死で生きてきたということを実感させられる。大事な家族の一人である弟が朝鮮戦争で亡くなったこと、女性は勉強など必要ないと学校には行かせてもらえなかったこと、17歳という若さで結婚のために日本に連れてこられたこと、日本名で新井と名乗っていたこと、東京大空襲で八王子に疎開したこと、バラック小屋で生活したこと、夫が病気で体が弱く、子育てをしながら一日225円の日雇いの草むしりの仕事をしたこと、妊娠中に福島や青森まで米の買い出しに行って2度も流産してしまったり警察に捕まったりしたこと、駅前の区画整理でお店が小さくなってしまったこと、釜山からきた夫の弟の親代わりになって学校に通わせたこと、20年くらい前に韓国を訪れたら両親は既に他界していたこと、18年くらい前に娘が交通事故で亡くなったこと、15年ほど前に子宮癌になったこと、10年くらい前に保証人になって借金の肩代わりをしたこと…。これらを聞いていると、『大変だった。』と口にしなくても、実際はすさまじい人生だったと思うし、またそういう辛いことを乗り越えた人は何度でも立ち直ろうと頑張るし、すごく心の優しい人になると思った。二日目から特に、『いいことはあんまりなかった。』と、徐々に自分人生を振り返りながら本音で話してくださったことが何よりうれしかった。今年の2月に祖父を亡くしたばかりだから、歳の近いキムさんの話を聞くときに思わず涙が出てしまった。その時代を生きた人たちの声を生で聞いて心で感じたいと思った。
最近は、これを期に日本人が行ってきたことや朝鮮人が日本でどんな生活を送ってきたのかなど、歴史の知識不足ながらもテレビや新聞などを通して興味を持つようになった。サハリンで働いていた朝鮮人の人たちの歴史も知りたいし、世界の戦争などの歴史も勉強していきたいと思った。自分自身はおばあちゃんのお話を聞くことしかできなくて何もしてあげられなかったけど、話していただいた貴重なお話をこれからどうに生かしていくかが大事なのだと思っている。 |
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