増田みつ枝 / 社会人大学生・ハングル講師 / 聞き取りに参加して
ソ・フナムさんは、81才でも2才の時に日本に来ているので、日本語でまったく問題がない。むしろ韓国語は家庭で使い、母親に無理やり文字を教えられたが自信がないという。韓国の地名もすべて日本で言われて驚ろいた。日本人の中で暮らし、着物を着るのにも抵抗がなかったという。当時の日本人の苦労と変わらないと繰り返しながらも、父母と弟妹が結婚したソさんと姉を残して韓国に帰る船を見送った話の時は、目がうるんで私も胸がつまった。
川崎に来たのは6年前という。長く関西のに住んで、川崎に来る前は息子のいる北海道でも何年か暮らしたという。その後、娘の近くの関東でも三浦、そして川崎と、老後になってからあちこち住まいを変えるたくましさには感心した。いろいろ事情があるとは思うが、住み着いた先での適応力には驚ろかされた。百人一首を学んで、17歳くらいで独学で韓国の歴史を学んだという。今までの在日一世のイメージとは、自分の運命をなげくようなイメージがあったが、いろんな人生、生き方をあらためて知り、さらに多くのハルモニ、ハラボジの話を聞いてみたいと感じた。 |
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