橋本みゆき / 大学院生(当時) / 残酷なインタビュー
私たちの班はたまたま2人のハルモニの話を聞いた。 2人のハルモニは、ある意味対照的だった。女の子であるという理由で学校に行かせてもらえず、親に決められた結婚をイヤイヤして、戦時中は物質的困難を体験し、苦労の中で懸命に子育てしてきたというストーリーは、かなり共通している。違うのは、現在の自分の意味づけである。
一人は、周囲でも評判の嫁や孫に囲まれた自らの来歴を肯定するに至った。ところが他方は、子供を生きがいに女手一つで育ててきたその子らにいま頼ることができず、八十を過ぎても一人暮らしせざるを得ない家族関係の現実を嘆く。先のハルモニが他方のハルモニとの対照で現在の自分を評価することにより、不遇さがいっそう露わになるという、残酷なコミュニケーションとなった。そこにあるのは、“一世のハルモニ”とひと括りにはできない、それぞれの人生である。
残酷だと感じたのは、ハルモニたち間の格差だけではない。話の内容を受け止めきれず、適当に流して次の質問に移る聞き手の自分たちの言葉である。そのときは精一杯だったけども、テープ起こししてみて焦った。言葉にするのもつらかったと思われるその個人的な経験は、私たちの問いに応えて話したものである。しかし聞く側に受け止める姿勢がなかったら、せっかく自己を表現し若い世代に伝えようとしたハルモニの語る力に水をかけてしまうかもしれない。
では、こんな残酷なインタビューはしない方がいいのか。つらい記憶はそれぞれの中にしまっておくのがよいのか。そんなことはないと思う。少なくとも私にとって、歴史の傷跡とそこから派生する生身の人間のいろんな痛みを改めて考えることになった。もっとちゃんと理解したい。このハルモニのために何かできないだろうか。彼女が語りにこめたその力を、今度は私が何らかの形にする番なのだろう。 |
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