年月日 |
記事の概要 (主として見出し) |
1945.11.15 |
朝鮮人帰国者に注意 一般在住朝鮮人帰国は労務関係者の帰国が完了してから |
1945.11.16 |
朝鮮人の証券持込許可(太平洋諸島から日本経由で帰国する朝鮮人に対して) |
1945.11.19 |
華人朝鮮人鉱夫の帰還 既に8万5千余人 帰国年内に完了予定 邦人の渡鮮は原則として禁止 |
1945.11.20 |
坑内の監獄部屋で火あぶり殺しの極刑 虐げられた朝鮮人鉱夫 |
1945.11.22 |
産後の婦人に帰国の世話 北鮮ソ連兵の美しい同情 |
1945.11.28 |
朝鮮政界に活発な動き 亡命中の独立運動巨頭等帰る 北鮮の邦人救出 京城の宇田氏の帰来談 |
1945.12.01 |
自由の声、投書)朝鮮人の露店 |
1945.12.06 |
帰国鮮人は送還計画に注意 |
1945.12.12 |
4合5勺配給せよ 朝鮮人代表、県へ要求 @食糧の4合5勺配給 A帰国の際の衣料配給、B朝鮮人の生命財産保護、C帰国者の宿舎設置 D協和会、興生会施設返還、E警察官の態度改善 |
1945.12.27 |
朝連中央本部主催 朝鮮独立祝賀大演奏会 進駐軍も招く |
1945.12.30 |
ムシロの上にふるえる邦人 布団も3人に1枚が配給 越境者の語る北鮮事情 幽霊人口の巣 朝鮮人飯場漸く減ずる |
1946.01.05 |
在日華人・朝鮮人の引揚状況 |
1946.01.07 |
鮮人の引揚再開 |
1946.01.18 |
外人の犯罪を摘発 進駐軍より県警察部に指令 愈愈近く検挙開始 |
1946.02.01 |
祖国朝鮮への情熱 苦闘37年の歩み 金九氏と独立運動 |
1946.02.04 |
生活再建へ 朝鮮人連盟県支部起つ 帰鮮始末と共に留日者生活建設を考慮に入れることに |
1946.02.07 |
川崎も転入制限 マ司令部指令に自発的な協力 |
1946.02.08 |
臨時民主政府樹立へ 朝鮮全政党統一への気運 |
1946.02.16 |
出資者を人質に脅かす 朝鮮連盟青年団員を検挙 |
1946.02.20 |
天皇陛下 川崎・横浜両市に行幸 |
1946.02.23 |
朝鮮建国促進同盟川崎支部 |
1946.03.14 |
朝鮮統一へ要望 ホッジ米軍司令官談 |
1946.03.18 |
天皇陛下県下行幸と県民の感想 無批判な「天皇観」 まだ抜け切らぬ神様扱い |
1946.03.25 |
外食券12000枚を詐取して大尽暮らし 帰国朝鮮人から転出証明書を買う |
1946.05.31 |
帰鮮者に告ぐ 輸送計画決まる |
1946.07.19 |
禁制品密輸の朝鮮人逮捕 日本人船長の慧眼で暴露 |
1946.07.25 |
荒稼ぎ4百余万円 日鮮合同の強盗を検挙 |
1946.07.29 |
コラム『よき隣人を見失うな』「一部の暴徒を恨む余りに今後長く親交を求めなければならない中国、朝鮮の良き隣人を見失ってはならない」 |
1946.08.02 |
朝鮮人の幽霊取締 中原警察署 帰国した朝鮮人の米通帳を利用して不正受給 |
1946.09.12 |
中華街の青空市場閉鎖(8.1粛正令) 早くも大半が姿を消す |
1946.09.19 |
朝鮮民主青年会結成(在日本朝鮮民主青年同盟県本部結成大会20日10時) |
1946.10.03 |
中国人の名義利用 悪質飲食業者を槍玉に |
1946.10.05 |
携行荷物増量 朝鮮への帰国者に 神奈川県内26,700人のうち帰国意思表明者2万人 |
1946.10.12 |
集団幽霊(登録)の親玉検挙 830余名が発覚 朝鮮連盟が(不正防止に)積極的に協力 |
1946.11.09 |
県朝鮮人民団本部 このほど各団体を統合して居留民団神奈川県本部結成 本部は川崎市浜町4丁目に |
1946.12 |
12月 未見 |
1947.01.11 |
在日鮮人の大会 在日本朝鮮人生活擁護神奈川県委員会川崎地区大会は10日午前11時から駅前広場で開催 大衆1000人が参集 吉田内閣打倒、差別的弾圧反対、市民権要求を掲げ、知事、市長に提出する決議採択後デモ行進を行った |
1947.01.16 |
朝鮮人商工連合組合設立 県下在住の朝鮮人は約4万人 事務所は中区石川町に |
1947.01.29 |
救国・倒閣の叫び 昨日野毛山で国民大会 国鉄、全逓、市従組合、朝鮮人連盟も参加(写真) |
1947.02.28 |
3.1革命記念 来月1日朝鮮人民大会開く 参加者5000名が街頭行進 世界平和と民族の平等と自由を強調(第八軍の好意により進駐軍野球場が会場として提供される) |
1947.03.01 |
社説「日鮮民族の提携」(過去における日本民族の最大の欠陥は近隣民族の抑圧と軽視であった。・・(今後こうした考えを改めなければ)朝鮮はもとより中国やその他の国々と真の友好を続けて行くことはできないのである。・・より高い見地から理解と友情を深めて行くように努力しなければならぬ。日本の平和と発展のために3.1独立記念日に際して我々両民族の提携を強調して世の注意を喚起したい。 |
1947.03.02 |
3.1革命の旗の下 昨日在日朝鮮人連盟人民大会 3500人結集(写真) |
1947.03.03 |
大掛かりな密造村 桜本町一帯から密造酒押収 |
1947.03.06 |
日鮮親善の第一歩 朝鮮人連盟で初等学校を建てる |
1947.03.25 |
地下に微笑む老翁 朝鮮人有志が村尾氏報恩の慰霊碑 故海軍大佐村尾履吉氏(神奈川内鮮協会理事、関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊塔を三沢の横浜市共同墓地に建立した人)死亡の知らせに 菊名蓮勝寺に朝鮮人納骨堂を移し、25日に朝鮮人社会葬として追悼会 朝鮮人社会事業施設愛隣会李氏の談話 |
1947.05.14 |
自らつくる救済会 朝鮮人間に新団体 「在日引揚内鮮結婚労務者更正会」池上新田中留耕地に事務所、会員577名。「朝鮮居留民団司法育成会」法律相談鑑定、訴訟、保護事業等、川崎浜町に事務所。 |
1947.06.08 |
日鮮合同慰安会 子安で |
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朝鮮婦女同盟近く結成大会 在日朝鮮民主婦女同盟神奈川県本部を10日に結成 |
1947.06.10 |
在日朝鮮青年同盟の夏季運動会 朝鮮建国促進青年同盟県本部並びに県下8支部共同主催の大運動会が朝鮮人生活援護会並びに文化諸団体後援で開催 |
1947.06.12 |
朝鮮人、浮浪者を救う 生麦 |
1947.06.22 |
朝鮮人密航団 本牧に |
1947.06.25 |
川崎で密造大検挙 出た出た樽詰めの濁酒 暴漢に襲われ間税課長重態 |
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武装警官200名と税務官吏100名が10数台のトラックに分乗 部落包囲し交通を遮断 |
1947.06.27 |
同上 連行98人 闇酒の手入れ 端山間税課長殉職 |
1947.07.02 |
監禁して10万円強請 武装警官被害者救出(朝鮮人飯場に監禁) |
1947.07.13 |
密入国の一味の一人とらわる(サッカリン等釜山から密入国した30名の内の一人) |
1947.07.14 |
服役者を慰安 朝鮮青年同盟 |
1947.07.26 |
詐欺朝鮮人横浜憲兵裁判へ 第八軍情報部調査員と自称 |
1947.07.30 |
刑余者に温かい手 朝鮮人司法保護の会 在日朝鮮人司法保護会発足 |
1947.08.01 |
朝連横須賀支部が解放2周年記念会 |
1947.08.08 |
希望の生活へ導く愛情 浮浪者更正に終生を捧げる朝鮮青年 生麦辛末浩 |
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間税課長殺しの一味捕わる 警察隊、町内を包囲 他の暴行事件が検挙の糸口 |
1947.08.14 |
県朝鮮少年団結成大会 |
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朝鮮解放二周年祝賀大会 横浜 |
1947.09.14 |
集団密入国を処刑 第八軍発表 密輸ブローカーが九州、横浜へ。船長は日本へ服役後朝鮮へ送還。その他は重労働だが日本を去れば執行猶予。 |
1947.09.20 |
在日朝鮮人貿易会社を創立 朝連系会社 |
1947.12.28 |
幽霊(登録)の黒幕を衝く 印刷屋を操る偽造団主犯 飯場で転出入証明書を駆使して83,306名の幽霊登録をつくる。 |
1947.12.30 |
税金問題で申し入れ 朝連一部交付を要請 税金問題で11.28朝連は政府より外国人登録を有する者は県市民税を払わなくてもいいとの言質。県;県市へ内務省が県市民税をとってもよいと示達。朝連;税金と言う義務は一面において市民権の問題にも関係してくるのでこの方面で何らかの権利を認めてもらいたい。県・市への申し入れ @納付した税金の一部をもって朝鮮人学校の維持費として交付してほしい A公安委員の任命について前朝鮮官公吏、または朝鮮人に不利益を与えた者を選ばぬこと。 1月に朝連と協議会開催予定。 |
1948.01.14 |
中国人3000人、横浜在住の第三国人(昨年10月の国勢調査 朝鮮人は7062人) |
1948.01.17 |
中日親善は横浜から 在浜華僑と官民代表が懇親会 |
1948.01.22 |
中日提携の強化へ横浜の両国民近く結合 国民外交に強い一線 |
1948.02.18 |
北鮮に人民政府樹立 |
1948.02.26 |
第三国人の徴税強行 |
1948.02.28 |
朝鮮に総選挙 国連小委員会で実施決定 |
1948.03.11 |
外国人も円所得に対し納税義務の積極的履行を 県民に望むー神奈川軍政部 |
1948.03.14 |
南鮮の総選挙実施 国連朝鮮委員会で可決 |
1948.03.30 |
横浜西区藤棚商店街の三国人商店急襲 食料をトラック2台分 |
1948.04.22 |
100名の武装警官 川崎駅前マーケットを急襲 |
1948.04.27 |
米軍初の非常宣言 朝鮮人騒擾事件を重視(神戸) |
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県下朝鮮人学校認可申請の提出を通告 |
1948.04.28 |
日本法令の遵守は在日朝鮮人の義務ー政府声明 |
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神戸、大阪地区平穏 神戸で1200余名を検挙 |
1948.05.01 |
朝鮮人取締は積極的に勇敢に ラウス大佐、警察署長に訓示 |
1948.05.04 |
済州島の騒動悪化する |
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軍政部、取り扱いは日本人と同じ 在留朝鮮人の納税義務を強調 |
1948.05.16 |
文化交流の促進 日華懇談会で協議 中日各界代表10数名が県庁で |
1948.05.19 |
中日協会の発足 来月5日に発会式 |
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円満に解決す 県下の朝鮮人学校問題 学校教育法に基づき指導要領に従って授業を行い、日本の教科書と日本語を採用し県下の対象校も設立認可で両者の了解 |
1948.05.20 |
朝鮮語も必須科目に 学校問題了承 |
1948.05.28 |
進駐軍用の物資を押収 川崎署、桜本町住宅を急襲 70名の武装警官 |
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朝鮮人神戸事件初の判決 |
1948.06.11 |
(投書)警官の実態(三国人の酒乱の通報に姿見せず、手入れを密造所に密告等) |
1948.07.21 |
第三国人にも適用強化 電力面の治外法権を一掃(中華街等) |
1948.07.30 |
不法入国者 朝鮮人7名検挙 西湘地区 |
1948.07.31 |
横浜華僑も協力的 第三国人への課税決まる |
1948.08.01 |
川崎の密造部落 警視庁も協力大手入れを断行 トラック11台に分乗 川崎浜町 |
1948.08.26 |
18石を押収 半年間の密造地急襲 1〜6月で27件(朝鮮人21、日本人6名)川崎4件 |
1948.09.16 |
ニセ一級酒の正体 川崎駅前で大量押収 |
1948.09.21 |
朝鮮人ら逮捕 新丸子暴行事件を追及 |
1948.10.01 |
華僑も協力約束す 神奈川軍政部 三国人の納税に関心 |
1948.10.15 |
日本国内における北鮮国旗掲揚禁止 |
1948.10.16 |
横須賀朝鮮人連盟の国旗入り祝政府樹立ポスターに(米軍横須賀憲兵隊長の)警告 |
1948.10.20 |
今日、朝鮮中央政府祝賀式 横須賀朝鮮人連盟主催 |
1948.10.24 |
暴力追放の会 川崎朝鮮人有志集まる 群馬電力前「暴力団を追放し町を明るくする」大会 |
1948.10.29 |
川崎の密造地を急襲 ニセ一級酒の焼酎を押収 砂子、桜本3丁目 |
1948.11.02 |
カストリ部落大混乱 きのう鶴見署で大急襲(下野谷) |
1948.11.07 |
消えない密造米 川崎のヤミ取締り10日間 |
1948.11.11 |
悪評地帯にメス 2000人の幽霊(登録)を製造 港北区南寮(朝鮮人宿舎)11ヶ月延2296人分の主食不正受配 |
1948.11.23 |
生活権を脅かされた? 朝鮮婦人連横須賀署で紅い気焔 どぶろく奇談 「正業に就くにも使ってくれなければ、ヤミをしなければ子どもを養えない」 |
1948.11.25 |
調べてみれば密航の朝鮮人(街頭での物売り) |
1948.11.30 |
川崎 間税課長殺し一味に判決 |
1948.12.10 |
5密造所を急襲す 武装警官102名 川崎で大量摘発(浜町ほか) |
1948.12.12 |
(密造酒)摘発より正業を 横須賀署へ朝鮮人60名押しかける |
1948.12.17 |
朝鮮人とカストリ問題 朝連鶴見支部が「朝鮮人生活対策朝鮮日本合同協議会」 6割が失業、不動的な職業のみ 夜学に通わせるなどの取り組みも 「義務ばかり負わせて権利を与えない、食えなくなった朝鮮人を救うことは日本の再建にも役立つはずだ、要求することは朝鮮人として食えるだけの賃金で働く職場を与え、商工業者に賃金と資材を融通することだ」 |
1948.12.18 |
密造取り締まり強化 横須賀署 |
1949.01.11 |
あくまでも取り締まる 密造摘発さらに強行 12月中29件31人(朝鮮関係24人) |
1949.01.12 |
工都川崎の再現へ 鋼管増産計画受け入れ態勢急ぐ 第四高炉増設で従業員3000人増員 |
1949.01.19 |
カストリ部落急襲 武装警官400余名で包囲 横浜 |
1949.01.23 |
在日朝鮮人自主連盟近く結成 横浜 |
1949.02.02 |
4名を監禁、暴行 朝連員、自主同盟幹部襲う 横浜 |
1949.04.02 |
朝鮮から密輸船 鶴見川支流で逮捕 |
1949.04.29 |
窃盗団を検挙 4百万円を荒稼ぎ 川崎桜本 |
1949.05.19 |
沖縄から密輸船 三崎で一味7名を逮捕 日本ー沖縄ー朝鮮を結ぶ密航が活発化 |
1949.05.31 |
生活権を守れ 華僑、朝連街頭デモ 横浜 共催で生活防衛人民大会を開催 |
1949.06.03 |
朝鮮自主連盟の県本部大会 |
1949.06.16 |
工都川崎に殺到する求職群 応対に汗だくの川崎職業安定所「川崎に行けばなんとかなるだろう」として4000人を越える登録者 市外が6割 市内の求人は平均月400人 日雇いは1日200人さばける 160円/1日でも飛びつく深刻さ |
1949.06.18 |
密造酒あくまで一掃 持ち運び、販売にも目を光らす |
1949.6.28 |
市政25周年座談会上 郷土愛がない、昭和3,4年頃でも市民の本籍地は全国至る所 まるで「寄り合い所帯」 |
1949.06.30 |
市政25周年座談会下 「工場従業員が土地っ子になりきれぬこと」←住宅計画の不全、「その発展は農村の犠牲の上に成り立っている」←農村政策の不全 |
1949.08.06 |
密入国者捕わる 桜本で 「日本に行けば金持ちになれるといわれて」 |
1949.08.13 |
8.15に記念大会 神奈川朝鮮自主連盟県本部 |
1949.08.25 |
宙に迷う密輸船 川崎沖で密輸船を検挙 |
1949.08.30 |
減っている三国人 ソ連人は逆に増加 横浜市の調べ |
1949.09.01 |
悪質化した幽霊、密造 報奨金をかけた当初も期待はずれ |
1949.09.09 |
朝連等の四団体団体規正令で解散指定 発足して4年、次第に急進化 朝鮮人連盟 |
1949.09.23 |
沖縄人の密輸団を告発 7百万円の大取引 沖縄・内地間を荒稼ぎ |
1949.10.06 |
朝連、民青両団体の財産を接収 |
1949.10.19 |
接収を完了 県下の朝連、民青の財産 |
1949.10.20 |
朝連系の学校閉鎖 夕刻までに接収完了 一時不穏な空気(写真) |
1949.10.21 |
スクラム組んで独立歌 父兄生徒がデモ 学校閉鎖動揺続く 各地の朝連の動き 川崎・大船・神奈川区・横須賀 |
1949.10.22 |
各地に陳情隊 朝鮮学校閉鎖 |
1949.10.23 |
閉鎖の封印を破って侵入 元朝連鶴見支部委員長ら37人検挙 |
1949.10.24 |
校長ら留置 朝鮮学校閉鎖事件 |
1949.10.25 |
4名を送検 朝鮮学校事件 元教員が示唆か 児童の学校封印破り 川崎で就学拒む |
1949.10.26 |
川崎の密造酒狩り2件 浜町、東渡田 |
1949.10.27 |
民団、韓国人登録(在外国民登録)妨害の不利を発表 |
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朝連の家屋を接収 |
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民団県本部全体会 団長,副団長を選出 |
1949.11.06 |
徴兵制嫌い(韓国から)密航 青年2名を逮捕 県下朝鮮人学校の閉鎖完了 建国青年同盟県本部中学校(鶴見)、居留民団経営の東海学院(川崎)は11.2付けで廃校届提出 |
1949.11.11 |
朝鮮学童500人横浜3分校に収容 青木小沢渡分校279名、鶴見下野谷小野分校155名、港北区田奈小学校に25名 法人学校を計画 建青資金調達におおわらわ |
1949.11.12 |
(横須賀市)諏訪小学校に集団入学 横須賀市の朝鮮学童 |
1949.11.17 |
校内で放歌乱舞 横須賀市朝鮮学童に手を焼く |
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サッカリンのヤミ製造 川崎市内桜本、池上新田等10数箇所に工場 |
1949.11.18 |
あれよあれよと茫然 授業は中止状態 朝鮮学童デモますます狂う |
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鎌倉の朝鮮学童 玉縄小学校に35名 |
1949.11.19 |
朝鮮人教官の課外教育 諏訪小学校の朝鮮人の父兄申し入れ(金達寿氏ら4名) |
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朝鮮学童問題協議 横須賀市教育委員会と |
1949.11.20 |
朝鮮人教師の採用 有志ら横須賀市と交渉 |
1949.11.21 |
社説「朝鮮学童問題」 |
1949.11.22 |
学校問題で9条件提示 諏訪小学校 朝鮮人側は回答を保留 |
1949.11.29 |
延べ105,000人の幽霊登録 大船元朝連副支部長の不正暴露(主食不正受給) |
1949.12.02 |
強盗窃盗団の根城衝く 140名に逮捕状 武装警官500名京浜の暁破る 朝鮮人ら中心に 200に及ぶ強窃盗団 |
1949.12.06 |
相模化成の賊わかる 朝鮮人大盗賊団一味か |
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6名が採用決まる 川崎市内の朝鮮人教員 高津分校に2名(日本人教師4名)、桜本分校に4名(日本人教員6名)と決定した |
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是非登録を 建青同盟が呼びかける(外国人登録の厳重化に伴い) |
1949.12.20 |
在日朝鮮人は全部登録(在外韓国国民登録)を 民団・建青事務代行 |
1949.12.22 |
外国人登録費用の国庫負担協議 5大都市対策協議会を開催 全額政府負担を要求 |
1949.12.28 |
威嚇発射で活劇 朝鮮人密航者捕わるー横須賀市 |
1950.01.12 |
朝鮮学童課外学級 小田原で15日から開く 新玉小学校 日曜日午前児童50名を対象に朝鮮語、朝鮮史、地理の授業 |
1950.02.01 |
窃盗犯人密入国と判明 不法入国の朝鮮人7名送還 川崎市警、外国人登録令違反で懲役・出所後本国へ強制送還 |
1950.02.04 |
不正登録者(外人登録)は処罰 切替(更新)済みは83%、残りは不正登録か |
1950.02.09 |
失業の朝鮮人に吏員の温情(横須賀市の職員) |
1950.02.12 |
日本人だった朴東海 (朝鮮人の名をかたって)呉服店荒し 湘南地帯で50万円稼ぐ |
1950.04.13 |
薬品5000万円密輸 |
1950.04.21 |
幻の密輸船群 朝鮮ー沖縄ー日本の海上ルートを結ぶ 浜町の古物商が東日本有数の密輸の本拠か |
1950.04.27 |
外人登録を偽造 川崎市の吏員ら逮捕 韓国人の不正入国や架空人物の登録証を偽造 |
1950.04.28 |
主食の不正受配、県下一斉取締 外人登録、職員不正、酒類密造部落、転出証明取り扱いその他全面的に行い、不正違反者は厳罰方針で処理 |
1950.05.12 |
朝鮮はイヤ 嘆きの密航者 |
1950.05.17 |
不正登録黙認 |
1950.05.24 |
密航者の語る済州島 |
1950.05.25 |
在日10余年の夫を慕い 密航者の妻に情け 異例の在留許可申請 (38年渡日、43年妻子のみ帰国) |
1950.06.26 |
北朝鮮支持の解放救援会本部が激烈な調子の声明を出し横浜・川崎で規制を挙げる |
1950.06.27 |
横浜、川崎にアジビラ 北鮮系の動き注目される |
1950.06.28 |
京城陥落 県下の朝鮮人に衝撃 密入国の激増か 国警左右の紛争を警戒 朝鮮人街の表情 |
1950.07.01 |
在韓邦人を救え! 横浜で近く県民大会 |
1950.07.02 |
アジビラ撒く 文寿堂(印刷工場)女工17名検挙 朝鮮人団体協議会名で県下一円10万枚配布 |
1950.07.07 |
(川崎市幸区)戸手2丁目の密造部落を急襲 |
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反戦アジ演説で逮捕 全日土建組合副委員長○ |
1950.07.09 |
反戦ビラ200枚(戸塚で) 全日本朝鮮人民主統一戦線準備会名義のビラ |
1950.07.12 |
アジビラ配布で軍事裁判(横浜憲兵裁判所で勅令311号違反) アジビラを押収 朝鮮生協組合事務所からー鶴見 |
1950.07.13 |
勅令違反学生を一斉検挙 今暁県下10数箇所で横浜地検は12日緊急招集、勅令違反の疑いで学生の逮捕状横浜地裁に請求し13日早朝横浜、川崎、横須賀などを急襲 |
1950.07.15 |
反戦ビラまきに重労働6年の刑 川崎市内日立造船所 池上新田入江町等で |
1950.07.28 |
北鮮へ慰問袋 川崎で詐欺して歩く 浜町マーケット民主女青同盟救護袋と記名した袋を示して立去る |
1950.08.09 |
祖国救援に起つ 民団県本部(川崎浜町4)赤化防止を展開 |
1950.08.15 |
三国人(中国人)のすり団 競輪専門に稼ぎまわる |
1950.08.19 |
南北対立で喧嘩 反米ビラ配布 |
1950.08.24 |
金天海所在くらます 上大岡の朝倉病院から |
1950.08.25 |
盗品で1億円野荒稼ぎ三国人の特権化の皮をはぐ(中国人になりすました日本人の犯罪) |
1950.10.19 |
アジビラをまく男 川崎鹿島田路上で3名(全て朝鮮人)勅令違反で検挙 |
1950.10.20 |
県下の韓国民団決起大会 22日桜本小学校で開催 |
1950.10.31 |
私の顔 教育委員選挙 候補者に聞く 森田三之丞(共産党) ・朝鮮学校を独立校とし、朝鮮人の自主管理とする⇒選挙結果;落選 |
1950.11.16 |
税金が高すぎる 朝鮮人(30名)、(神奈川)税務署へ暴れ込む |
1950.12.05 |
生活権を与えよ 鶴見区役所に強談判 日鮮団体 12.04には川崎でも騒ぐ 川崎市役所に婦女子20名を交えた30名が押しかけ,生保適用と越年資金の支給を要求 |
1950.12.07 |
急進分子の暗躍を気遣う 願いは一つ「平和」 韓国民団幹部ら神奈川新聞社を訪問し談話発表「県下の2万人の韓国人は穏健な、善良な市民です」 |
1950.12.27 |
不穏韓国人送還 政府厳重な警告を発す 立法措置は来春発表 法務総裁談話 |