夫が死んで必死に働いてきた 1915年生まれ、女性 夫が死んで、私も鋼管で働きました。一年ぐらい。身体が大きいから、みんなに男って言われた。オヤジが死んで、みんな、他人、悪口言うでしょ、やっぱ。金がないのに、知らないから、他人のうち「オヤジが死んでえらい喜んですぐ仕事行くなぁ」ちゅうて。朝暗いとき出て、帰ってきましたよ。はずかしいから。鋼管ではね、なんか水道の管がある。それをさらったり。鉄を溶かして、屑があるでしょ。それこうすくってから、鉄をこのくらい拾ったり。もう夏はものすごく暑いよ、火のそばで働いてるんだから。それやったり。もうノカタ(土方)とおんなじよ。下請けだった。今でも渡田にいるけんど、名前は忘れた。イルボンサラム(日本人)の下で働いてた。大変でしたよ。それでみんなここ、あの総連の事務所があるでしょ。あんまり働くばっかりで可哀想だから、それでもう見かねて、民生申し込んでくれました。それで、今はそんなないけど、昔は民生もらったら米も買えないもの、足りなくて。民生のお金じゃ生活できなかったよ。米、いちばーん悪い米といっても、子供が多いからできなかった。今と昔じゃ民生は違う違う。昔はテレビとかあったら大変よ、くれないよ。指輪とかみんな、そんなんはめたらみんなくれないよ。それ買うお金があったら、それ売ってから食べれって言われた。朝鮮人は特別よ。それ売ってから食べれって。食べていかれないもん。それで働かなくてジーっとおったら、もう腹すかして死なないけないでしょ。もう私働いたほうがいいちゅうてからね。みんなは黙って働いて、働け働け言いおりましたよ。これ生活できないから働かにゃどうすんのちゅうて。働き出したら、背広着た人見たらみんな市役所の人か思うてね。恐くて胸がドキドキした、私は特別。もうできなかったよ。それで3回ぐらいもらってね、「もう私働きます」言うて断りました。もう働いていたほうがいいから、すいませんけどもう仕事しますって。今度また苦しい時お願いします言うて断りましたよ。それからはずーっとノカタ仕事したり。高速道路下の、油のあれ、ひいてるでしょ、道。夜、あれも仕事行ったよ。夜行けばいっぱいお金くれるから。夜も行ったし昼も行ったし。運搬とか、コンクリ練りもするし、いろんなことやりましたよ。それだから今、身体がバラバラになってるんじゃないかなと思いますよ。ノカタ仕事行ったり、ビル掃除行ったり、どのくらい働いたかわかんない。それだから今、身体が痛いときは、ひどい時はひとりで泣くんですよ、わたしでも。涙が出るんですよ。金は残らないで、病気だけ残ったなぁと思って。身体バラバラで、あんまり使ってからバラバラしてね。身体が悪い言うてから。夜通し寝ないで泣くときがある。涙が出るときがある。全体痛いんですよ。今でも。身体が大きいから丈夫に見えるけんど、痛いとこだらけ。それで子供産んでも、いちんち寝たことないでしょ。朝起きて、すぐご飯炊いてやらにゃいけないし。自分の汚れた洗濯せにゃいけないし。今はまあ、電器釜もあるけど、昔はみんな火炊いてね、薪割ってやりおったから。 |
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