解放後の一時帰国のために 女性 「『登録のことでちょっと臨港署まできてください』って。死んだだんなさんは『警察に聞かれたら、亭主が二号さんつくってあっちこっちいっているのを追いかけていたから、登録つくるのもよく知らなかったといいなさい』っておしえてくれた。それでそのとおり言ったら『うちらだってばかじゃないんだ。本当のことを言いなさい』って。どうしようもないから話したら、夜までかかった。『逃げるから家に帰さない』っていうのを近所の人が3人きてくれて、『こどももいるし、絶対保障します。』っていって、やっと出してもらったの。翌日九時に行ったら、もう指紋はとるわ、写真も前から横から後ろから撮る。そのあと1ヶ月以上たって横浜入管に来いってはがきが来たの。私おっかなくって、何しゃべったか覚えてないけど大変だった。夜までかかった。それから1ヶ月に1回づつ横浜に(特別在留許可の)はんこもらいに行くの。1日でも遅れたらダメでしょ。そうやって1ヶ月に1回が二〜三年続いたかな。そうしたらやっと1年が出た。3年の特別在留をもらうのは一〇年かかったよ。私は余計なことは言わなかったけど、こどもが高校出るまでは日本においてくれって頼んだの。そうしたら『それはだいじょうぶだけど、あんたはどんなに食べていくのが大変でも生活保護はうけられないよ』って言われた。こどもも嫁さんも永住権がある。こどもふたりが永住権申請するとき、私も出してみたけどだめだった。」
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