川崎在日コリアン生活文化資料館


関連年表
川崎生活関連 日朝関係
1895年(明28)   日清戦争終結
1899年(明32) 京浜急行営業(川崎六郷橋一川崎大師)  
1905年(明38)   日露戦争終結 釜山〜下関 定期連絡船 運航
1908年(明41)   東洋拓殖会社設立
1909年(明42)   伊藤暗殺 コリアン居住人口790人
1910年(明43)   日韓併合、総督府設置、会社令公布
1911年(明44) 浅野セメント設立 第一次世界大戦
1912年(大1)   土地調査令施行
1913年(大2) 川崎市制開始   
  日本鋼管川崎進出   
  浅野埋め立て開始    以後工場進出  
1917年(大6) 浅野セメント進出  
1918年(大7)   土地調査完了、米騒動、
1919年(大8) 多摩川砂利鉄道設立(川崎町―稲城間) 3.1独立運動、
  2年後南武鉄道 渡航調節制度
    コリアン居住人口22262人
1920年(大9) 土地収奪、米収奪により、農村経済の破袁、流民化、低賃金労働者へと転落し、30年代に日本の朝鮮人部落の形成へ 産米増殖計画着手
  川崎堀之内川崎社会館設立 朝鮮の80%が農民
1922年(大11)   渡航調節制度廃止、自由渡航制
1923年(大12)   関東大震災 一時居住朝鮮人分散化
    大阪―済州島間の定期旅客船就航
1924年(大13) 川崎市市制施行   
  震災復興と同時期的に工都川崎へと展開 公害−のり、なしの打撃  
  田島小学校、大島小学校設立  
1925年(大14) 鶴見総持寺〜大師に海岸電気軌道が敷設 渡航制限制度実施
干拓地の工場化(一面葦畑)    コリアン居住人口133710人
池上町に家が建ち始める。
1927年(昭2) 田島町が川崎市に合併、 日本経済恐慌発生
こみやデパート開店  
1928年(昭3)   土地改良令
1929年(昭4)   世界恐慌発生
    コリアン居住人数276031人
1930年(昭5) 煙突男  
  鶴見臨港鉄道旅客化(扇町一仮鶴見駅)  
  川崎社会館の朝鮮人労働者など104名失業者の完  
   全就労を求めて市役所に押しかける(市内各地で争  
  議多発)  
  1930年国勢調査  
  県下朝鮮人13178人(男9452人女3726人)  
  土工3337人、日雇い1006人、仲士荷扱運  
  搬夫484人、土砂採取夫308人、その他、  
  薬種業、海苔採取よしず製造、清掃夫、屑  
  拾い、屑問屋、養豚養鶏、野菜栽培  
  女子の内職一あさり取り、鉄屑拾い、コークス  
          拾い、靴下磨き    。  
1931年(昭6) 戦争体制による工業化 満州事変
        桜本にも寄宿舎、飯場ができる。  
新川橋一四つ角一桜堀運河の道路化  
鶴見臨港鉄道浜川崎駅新設、昭和電工川崎工場  
1932年(昭7) 漁民 味の素排水改良要求船のデモ 5.15事件
1933年(昭8)     
1934年(昭9)    
1935年(昭10) 大島小学校から分離して桜本尋常小学校設立  
  川崎臨港警察署発足(扇町)  
     
1936年(昭11) 日本鋼管扇町工場操業 2.2 6事件
  大師河原先埋め立て事業  
1937年(昭12) 産業道路整備、海岸電気軌道廃止? 日中全面戦争
  日本鋼管大島病院開設、大島ポンプ場できる  
  鶴見川崎臨港バス設立  
 (川崎駅一三井埠順一川崎大師)  
1938年(昭13) 川崎市役所新庁舎完成 国家総動員法施行 陸軍志願兵制
神奈川県内鮮協会川崎支部発足
1939年(昭14) 日本鋼管 現在の池上町付近買収し、軍需工場建設 強制連行 第1期(募集形式〜41年)
着手 創氏改名
大島尋常夜学校設置  大師橋完成    コリアン居住人口961591人
1940年(昭15) 富士見公園竣工
1941年(昭16) 浜町教会(倉持牧師〜44年) アジア太平洋戦争
  水江町埋め立て  
  大政翼賛会川崎支部結成  
  川崎古米の配給制実施  
1942年(昭17) 初空襲 塩配給制 食管法公布 強制連行 第二期(官斡旋〜43年)
1943年(昭18) 今の場所に臨港警察建つ 海軍志願兵制
1944年(昭19) 日本鋼管青年学校(今の臨港中学)で徴用の訓練校 強制連行 第三期(徴用〜45年)
  宿舎 徴兵制
  大島捕虜収容所  
  川崎学童疎開開始(大島国民学校)  
  川崎市電営業開始  
  (川崎駅一束渡田〜浜町、桜木、塩浜)  
1945年(昭20) 4月川崎大空襲 日本の敗戦一解放
  コリアン居住人口2365263人
在日朝鮮人連盟結成(10月)
1946年(昭21) 以後再渡目(分断、世情不安、田畑がない) 3月の外国人登録人口65万人
天皇昭和電工「巡幸」         (1 8 5万人帰国)
1947年(昭22) 外国人登録令 翌 新憲法施行
1948年(昭23) 川崎自治体警察発足 大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国
樹立 民団結成
1949年(昭24) 朝鮮人学校閉鎖令 団体等規制令施行
臨港警察署復活 期連強制解散
1950年(昭25) 川崎工場活性化「朝鮮特需」 朝鮮戦争勃発 レッドパージ
臨港署どぶろく密造検挙、サッカリン密造検挙
1951年(昭26) 市内トロリーバス運行 出入国管理令施行(適用停止)
 (川崎駅前一池上新田〜水江町、
         こみやー大島4丁目)
1952年(昭27) 講和条約 外国人登録法施行
1953年(昭28) 大島小学校再建に伴い、朝鮮学校、現在地に移転
1954年(昭29)
1955年(昭30) 生保『不正』受給摘発激化 日本共産党6全教 総連結成
高度成長重工業化 千鳥町埋め立て 指紋制度実施
1956年(昭31)
1957年(昭32)
1958年(昭33)
1959年(昭34) 共和国帰国運動(〜67年)
1960年(昭35)
1961年(昭36)
1962年(昭37)
1963年(昭38)
1964年(昭39)
1965年(昭40) 日韓条約
1966年(昭41) 池上町貨物引込み線高架設置 協定永住実施
1967年(昭42) 川崎永住許可憐国人に国保実施
トロリーバス廃止
1968年(昭43)
1969年(昭44) 川崎教会内に桜木保育園開設
市電廃止
1970年(昭45) 日立就職差別裁判闘争(〜74年)
1971年(昭46) 川崎市政令指定都市 伊藤革新市政
1972年(昭47) 全外国人に国保実施
1973年(昭48) 社会福祉法人青丘社設置
1974年(昭49) 公認桜本保育園 開園
1975年(昭50) 各地で行政差別撤廃の闘い
1976年(昭51)
1977年(昭52)
1978年(昭53)
1979年(昭54) 国際人権規約発効
1980年(昭55)
1981年(昭56)
1982年(昭57) 難民条約発効
1983年(昭58)
1984年(昭59) 桜木中学校区の小中3校でふれあい教育開始
1985年(昭60) 伊藤市長外登法違反指紋押捺拒否者不告発表明 国籍法改正
李相鎬氏(桜木保育園職員)指紋押捺で逮捕
1986年(昭61) 川崎市在日外国人教育基本方針制定
1987年(昭62) 帰化民族名許可
1988年(昭63) ふれあい館設置
1989年(平1)
1989年(平1)
1990年(平2) 桜本商店街「目本の祭」に韓国・朝鮮のプンムル
R始活き剥「1
1991年(平3) おおひん地区街づくり協議会 結成
1992年(平4)  「コリアタウン実現を目指す川崎焼肉料飲業者
の会」発足
1993年(平5) おおひん地区春の祭 開始
1994年(平6)
1995年(平7)
1996年(平8) 川崎市外国人市民代表者会議設置
1997年(平9)
1998年(平10) 在日高齢者交流クラブトラヂの会 発足)
1999年(平11)
2000年(平12)
2001年(平13)
2002年(平14) かわさきのハルモニ,ハラボヂ」展開催


Copyright 2009 www.Halmoni-Haraboji.net
All Rights Reserved