旅の記録 
 
・日向墓地 (古河大峰炭鉱跡付近)
  
 
 「九州地方朝鮮人強制連行真相調査団」が、1974年からはじめた強制連行され、強制就労された朝鮮人の証言を聞く活動。その活動に古河大峰炭鉱の朝鮮人寮「愛汗寮」で暮らしていた経験を持つ金奇東さんも証言を寄せた。あまりにも過酷な日々を「絶対に話せない」と言っていた金さんが、いよいよ案内した場所が、この朝鮮人墓地であった。
 堂々とした日本人の墓碑群のかたわらに、石炭とともに掘り出された岩石が所狭しと点々と37基。周辺には「釈ミイ之墓」「釈タロ之墓」と彫られた墓も並ぶ。ペットの墓である。ペットの墓ですら、「ミイ」や「タロ」と名前や没年月日が彫られているのに、朝鮮人の墓には、それすらもない。芝竹夫はこの現実を、次のように記している。
 
 
  
 「戦後50数年たって、西暦2000年を迎えながらなお、解放されることなく塞がれ、閉じこめられ、やがて地下に置きざりにされ、誰からも忘れられてしまうにちがいありません。(芝 2001,p.17)」
 発掘調査は結局、行われることなく、強制連行真相調査団の調査にも、はっきりした数字は示されることがなかった。見学者が立てかけた花や太極旗で、その場がわかるのみで、まだ何もされていないまま放置されている。犬養さんによる「ノレカラ(強制連行された朝鮮人石炭夫のうた)の朗読があり、参加者がみな涙した。雪が降る日、「寒かろう、悔しかろう」と胸が詰まる。献花し、アリランやトラヂをみんなで歌い、霊をなぐさめた。
 犬養さんは、「筑豊では、人権の前に 死人権が奪われたままになっている。」とおっしゃられた。そして、「慰霊の場所は、単に魂を慰めるだけでなく、次に生きる私たち自身が、そこに倒れた人々の悔しさ、怒り、悲しみ、想いを継承し、闘いを継承する場である」という内容の話を、韓国光州の慰霊の場所 国営に移転されたあとの場所の見学の話を引き合いに出され、話された。
 
上野英信・趙根在監修『万葉録 筑豊9 アリラン峠』(葦書房 1986)
 
 
  
在日コリアン一世の炭鉱労働を学ぶ
下関・筑豊フィールドワークの旅
Copyright 2004- 2000人ネットワーク All Rights Reserved