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■ 旅の記録 ■ | |||||||||
・法光寺 朝鮮人慰霊碑 ![]() 筑豊地域は、鉱山が閉山された後にも、土地が陥没してしまうという鉱害が残された。露天掘りではなく、地下を掘っていくため、土地が広範囲に下がってしまう。このため、新幹線も筑豊を通るところはコンクリートにしないそうだ。いつでも修復作業ができるように土にしておく。 1970年代、法光寺のある周辺一帯でも、土地が下がり、修復工事に着手することとなった。その準備のために、納骨堂の整理をすると、ミカン箱に骨がいっぱい入っているのが見つかった。骨をくるんだ布には、金さん、梁さんなどと名前が書かれていた。 そこで、朝連の人と、檀家に市長がいたということもあり、教職員組合の人たちも協力し殉難碑「寂光」が建立された。今でも一年に一回供養が行われている。 ![]() 碑文には、犠牲者数は2万と記されているが、いかに数字があやふやであるかが分かる。数えてみると確かに少ないのだが、これは記録できる人の数が少ないということ。記録されていない人がその背後にどれだけいることか。日本の碑は朝鮮人を扱う時、沖縄も広島も、万単位である。万単位ということは要するに、数えられない。それぐらい虐げられていたこと、人間扱いされていなかったことを示している。
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