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■ 旅の記録 ■ | ||||
犬養光博さんによる解説 街の鉱害、平地の掘削による住宅地の陥没 補償問題もあり、大きく筑豊の炭鉱は閉山していく。街は建て替えられた家々が並ぶ。 かつては、たくさんのボタ山が聳え立っていた。今では、ボタ山で紅葉狩りができる、というくらい。ここがボタ山、と説明を受けなければ分からない。 今でも日本で炭鉱やっているところは、細々だがある。例えば、北海道。北海道は山だから、掘っても、その上の土地がどう、という問題は起こらない。筑豊は、掘ったらその上にある畑や家が沈んでしまう。沈んでしまうと、その補修やら、補償やらで費用がものすごくかかってしまう。それが北九州、山口の炭鉱が真っ先に閉山に追い込まれていった背景である。 今や日本は石炭の世界最大の輸入国。石炭の生産はしていないが、大量に使用している。何に使うかと言えば、火力発電。だから火力発電所は海岸にあるのだ。海外から輸入された石炭が、大きな船でも横付けできるよう、海岸に建設されているのだ。 遠賀川流域が筑豊と呼ばれる地域。炭鉱とひとことで言っても、三井、三池のような大きな炭鉱がある周りに、小さい炭鉱が無数にある。小さい炭鉱は、景気が良くなれば増えるし、悪くなればつぶれる、の繰り返しで、数は常に流動的だ。 この辺り(赤池炭鉱跡近辺)も、今はさびれているけれど、かつては映画館が3つもあって、活気のある町だった。 事故も多く、「ボタ山が1メートルあがるごとに人がひとり死ぬ」といわれていた。 石炭産業がなくなって、仕事がない。そのため、この地域は県内でも生活保護受給者数が一番多い。それから鉱害復旧事業(下がった地盤を直していく作業)もほとんど終わった。その後は、同和地区の同和予算(時限立法)でなんとかもっていたという状態。 今、中国は経済成長で、日本に石炭を沢山輸出している。中国は露天掘りが多いのだけれども、事故もたくさん起きているのではないかと想像する。 |
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