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■ 旅の記録 ■ |
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・関釜フェリー発着所
かつての関釜連絡船発着所とは少し離れた場所に、現在の関釜フェリー発着所がある。下関と釜山の間を毎日就航している。金芳子さんの記憶には、朝早くに韓国から沢山の商品を持って、下関に降り立つ人々のにぎわいがあるという。釜山からの便は、朝8時に入港するため、人々のにぎわいを見ることができなかったが、停泊しているSEONG HEE号を見た。「韓国、行きたいねぇ」と口をつき、話は自然と故郷におよぶ。今年は関釜フェリー就航40周年で、割引企画などがあるなど、ハルモニ達は情報ツウである。「次の下関旅行は、下関を見た後、関釜フェリーで釜山にも行こう!」と、楽しく語りあった。「なかなか、そうはいかないけど、想像してみると楽しいじゃない。想像するのはタダだからね」とおっしゃるハルモニの言葉に、切なさがこみ上げてくる。
1980年代には「ポッタリ」(ポッタリは韓国語で大きなふろしき包み)と呼ばれる行商人が、下関と釜山を往復していた。金芳子さんもその経験を持つ。
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(金芳子さんのお話)
金芳子さんは、1980年代の後半、ポッタリ(担ぎ屋)で暮らしを支えたこともある。下関に暮らすお母さんの具合が悪くなり、親孝行をしようと下関にしばらく戻った。お母さんの容体がだいぶ落ち着いたので、さて、何か仕事を、と思った時、知り合いから「ポッタリ」の話を聞いたという。
韓国で売れそうな品物を買い集め、関釜連絡船に乗る。運が悪ければ、韓国側の入国税関で取られてしまう。しばらく後に、取りに戻ると、没収された品物は返してくれるそうだが、その時には荷物を受け取りにだけフェリーに乗船するので、大変な赤字になる、というわけだ。税関をうまくすりぬけられるかの綱渡り。うまくいったり、いかなかったりなので、採算はまったく取れなかったそうだ。
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在日コリアン一世の炭鉱労働を学ぶ |
下関・筑豊フィールドワークの旅 |
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