旅の記録 
 
・旧間釜連絡船発着所と山陽ホテル
 
 旧下関 釜山連絡船発着場のすぐ前に、鉄道駅があり、朝鮮人の徴用工が、ここから全国の炭鉱や軍需工場に移送された。すぐ近くから、船に乗せられ九州の炭鉱に送られることも多かった。しかし、驚くべきことに、ここには、何の表示もなく、案内して下さる人がいなければ、昔の関釜連絡船の発着場であったことは、全くわからない。
 ここは、上陸の際の通過点に過ぎず、記憶が定かでないかもしれないが、それでも慶尚南道出身がほとんどの、川崎のハルモニ、ハラボジが関釜連絡船の船底から上陸し、日本の一歩をしるした場所である。万感の思いで関釜連絡船の港跡を見学に行った私たちには、全く悔しい想いが残った。
 いまは幻となった、旧関釜連絡船発着場と直結する場所に山陽ホテルがあった。山陽ホテルは、戦前の下関を代表する西洋風の高級ホテルで、ここに泊まる人のリストは新聞に載せられたそうだ。昭和20年に戦災にあい、その時をもって、営業をおえた。建物は手をつけられず、放置されたままで、金網が張り巡らされ、立ち入り禁止の状態である。

 
大正時代の下関駅前の様子(右が山陽ホテル)
 
 
  
在日コリアン一世の炭鉱労働を学ぶ
下関・筑豊フィールドワークの旅
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