読谷にある座喜味グスクの駐車場で、知花さんと合流し、ご案内いただきま した。世界遺 産に登録された遺跡のひとつで、15世紀のはじめごろ建てられたもの。
戦時中は、日本軍の砲兵陣地が置かれ、戦後は米軍基地にされたましたが、その後返還修復され、今のような美しい城壁に登ることができます。入り口には、読谷の歴史民俗博物館もあるが、その日は休館でした。
緩やかな坂を上って、小高い丘に立つ城壁の眺めは壮観であり、近づくにつれ、見事な石積みが確認できます。「城」とはいっても、直線的ではないつくりは、敵の侵攻を想定したものではなく、祈りの場であるといわれているそうです。沖縄には士族はいたけれど、本土のように武士道はなかった。したがって、死を美化する考え方もなかった。グスクは、生活文化の中心であり、日本のシロとは違ったものであったようです。今も祈祷が生活の中に根付いていることを、楽しい実話で案内してくれました。在日コリアンの生活文化にも『祈祷』が根付いていることと似ていて、おもしろいです。
このグスクとその上からの眺めで、沖縄と読谷を物語る事柄がよくわかるといくつかの点を整理してお話いただきました。
まず、沖縄は、中国の属国の歴史があり、歴史的には、中国文化の様式が基本であること。このグスクは、どこか万里の長城のような曲線に囲まれた場所です。グスクに立つことで、日本とはまったく違った文化背景を捉えることができます。
次に、城壁からは、すばらしい眺望であり、沖縄が、中国、台湾、日本の交易の要所であったこと、したがって、先の戦争、そして現在の米軍極東戦略の要所である位置を確認できます。そして、沖縄上陸作戦の海岸と米軍の侵攻、読谷飛行場の位置を含めた沖縄戦の始まりを視覚的に確認できます。
さらに、象の檻をふくめ、読谷が米軍に接収された基地の町として存在していた事実、その後返還運動の展開で大きく土地をとりもどしていくことを視覚的に確認できます。
座喜味グスクの見学で、案内してくださった知花さんの「読谷と沖縄の置かれた歴史と現実」への誇りと優しい郷土愛のまなざしを感じさせていただきました。
民俗博物館の周りのは、さまざまな形の歴史を物語る骨壷が置かれています。かつては、埋葬して、遺体が朽ちるのを待って、数年後に取り出して、骨を洗い清め(洗骨)、木製や陶製の骨壷に移し替えて、再び墓に戻します。米軍地接収などの背景で、一族の亀甲墓を移動し、あるいは縮小する中で、古い骨壷がたくさん土の中から出てきて、それを博物館の周りにおいているそうです。今は火葬ですが、小さくても独特の骨壷が見受けられました。
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