現 場 の 力 を 信 じ て 
神奈川新聞社川崎総局 鈴木 美帆子
2006年初頭。金聖雄監督作品「花はんめ」のスクリーン。ハルモニの弾けるような笑顔に、私の心は鷲づかみにあった。何変化もする表情をつくる彼女らの生活史と持ち合わせている感性は一体、何なのか。計り知れない苦しみの過去を背負っていながら、なぜここまで笑うこともできるのか。総人口の20人にひとりが外国人といわれる川崎区を拠点に取材する立場として、強く興味を引かれた。以後、トラヂの会の例会で同じ釜の飯をいただく機会に恵まれながら、この表情の秘密に迫りたいと考えていた。
一方、「若輩者の感性で書き留めることはとても困難な作業であり、他人の心に土足で足を踏み入れる行為ではないか」。毎週水曜の食事会の後は決まって自問自答を繰り返していた。記者として、一個人として、川崎に暮らすハルモニの今を伝えたい思いは確実に強くなっていたが、頭を捻る回数も確実に増えていたような気がする。沖縄への同行依頼をした際も、実は気恥ずかしさと先に書いた迷いがあった。が、今後も川崎で添い遂げるには、沖縄の「現場の力」を借りてもいいのではないか。現地の同業者に頼る手もある。そう信じて、ハルモニの待つ羽田空港第2旅客ターミナルビルへ急いだ。
現場の力は、期待以上に大きかった。この旅の始終を発信すべきだ、と心を無にして写真を撮り、話を聞かせてもらい続けた。沖縄で出会った光景、人々との出会いは想像以上の力をハルモニたちにもたらしていたと痛感する。知花昌一氏らビッグネームと対面できる機会もまたとないことだ。
ハルモニが現場ならでは心を揺り動かされたであろう例をひとつ挙げるならば、2日目のバスから比謝川河口の壕を眺めたときだ。戦中戦後の経験談を語った80歳代のハルモニ。マイクを握る手が震えていることにも気付かぬ様子で、無我夢中で話し続けていた。後に「昔のことはうっかり忘れる年齢になった」と言っていたが、潜在的な気持ちと沸き上がる記憶は、決して衰えることがないのだろう。ハルモニが持ち合わせている怒りと苦しみ、たくましさが、多種多様の表情を描くことにようやく合点がいった瞬間でもあった。
ハルモニたちは沖縄でよく笑い、よく泣いていた。冷静な立場でなければならない私も引き連られたか、気持ちが揺れることしきりだった。初日の交流会、ハルモニの体験談披露では、経験に裏打ちされた強い気持ちに圧倒された。恨の碑や韓国人慰霊碑ではファインダー越しの光景がこころなしかぼやけて震えていた。
先の大戦の体験談を敢えて語ってもらうこと自体には、一人の人間としてやはり今も躊躇する部分はある。そっとしておけばよい、という向きもある。が、人間の尊厳の根幹を揺るがす行為を二度と起こさないために、ハルモニの生活史から拝借すべき事柄はまだまだ沢山あるはずだ。
惜しむらくは、沖縄の高齢者との交流が一夜限りに過ぎなかったことだ。物理的にも体力的にも課題があるのは承知だが、戦禍を繰り返してはならないとの訴えを共に伝えていく術はなかろうか。当事者の声と表情は、誰のそれよりも大きく、説得力を持ち合わせているのだから。