沖縄のひと Part1 
大学院時代の友人大越さんから「ふれあい館」のハルモニやそこに関わっている方々が沖縄に研修旅行に行くと聞いたのが9月のことでした。あっという間に11月の交流会となり、心の準備をするまもなくこの時がやってきました。最初はみんな何を話せばいいのか、何をしたらいいのか、何ができるのかなど不安でしたが、このように沖縄で実際に在日の方やそこで活動をなさっている方々に直接お会いできる機会はめったにないのだから、とにかくまずは何かお話をしたり聞いたりしようということで交流会に参加させていただきました。しかし、実際にお会いしてみると、ふれあい館の三浦さんや鈴木さんを始めとしたスタッフの方々、ハルモニたちみんなとても優しく明るく、会う前の緊張感はウソのように消えリラックスして参加することができました。このような交流会に参加させていただき本当に感謝しております。
今回交流会に参加させてもらったメンバーは、私が非常勤講師をしている琉球大学で日本語を勉強している韓国人の学生と、日本語の会話クラスで留学生の会話パートナーとしてクラスに参加してくれている学生、大学内外で平和活動に参加している学生、そして毎週1回地域に住む外国人や留学生と交流を行っている「日本語ゆんたくサロン」というグループでボランティア活動をしている合計16名での参加となりました。これは交流会に参加したメンバーの感想文をまとめたものです。
ハルモニとの交流会に参加して、日常生活のなかで出会えない方々と交流できたことはとても貴重な体験だったと思います。
そのなかで一番印象深かった出来事は、読谷の『恨之碑』を前にした彼らの感情を目の当りにしたことです。小学校から大学まで沖縄戦について私たちは学んできたつもりでしたが、朝鮮人が連行され強制労働を強いられていたという話は実に内容が薄い程度にしか理解していませんでした。
『恨之碑』でハルモニたちと同じ時間を過ごし、彼らが亡くなった方々を泣きながら弔っている様子を見て、言葉にできない感情と直視するには重たすぎる内容に私自身が戸惑っているのに気づきました。戸惑いのなか、ハルモニたちとの別れが近づいてきたときバスの中で大合唱が始まりました。自然と顔が綻びていく彼らの顔を見たとき、短い一日の中で彼らの陰と陽の部分が見えた気がしました。(濱元 千恵子)
 

感想  西山佳那(にしやま かな)
おばあちゃんたち、おばさん(お姉さん)たちはとても明るくお元気で、おしゃべりしているとこちらが元気をもらう側でした。一方で、今の彼女たちの笑顔からは想像できない、一人一人の歴史があることを少しだけ聞くことができました。それは民族差別という言葉抜きには語れなさそうでしたが、不勉強な私の頭の中は質問でいっぱいになりました。彼らの置かれた状況などを勉強した上で、またいろんなお話を聞かせてもらいたいなぁと思いました。貴重な体験をありがとうございました。

 
-------吉永昌代
在日コリアンの方々に会ったのは今回が初めてでした。彼女たちと同行はしていたもののわずか半日あまりで、話す機会が少なかったのが残念でした。でも時折彼らとの会話の中で祖国に対する愛情や思いを感じさせられました。食事の時にみんなでアリランを歌ってくれたことが、一番強く印象に残っています。口では語らなくてもハルモニたちの歌声からは、その生き方やたくましさが伝わってくるようでした。彼女たちがなぜ日本に残り、どんな苦労をしてきたか今度はもっといろんなお話を聞きたいです。
 
ハルモニたちとの交流会の感想
琉球大学 法文学部4年次 とけ渡慶し次マリ子
まず、最初に先月の会に出席させて頂いた事に感謝しています。そしてハルモニたちと会えたことにとても感激しており、一緒の思い出となりました。私は、大学で在日コリアンについて2年(大学2、3年のとき)勉強していました。初めて、在日コリアンの方々の存在を知ったとき、違和感を感じていたのが、正直な気持ちです。沖縄では、実際に在日の方と会ったことがなかったからだと思います。勉強を始めたときは、驚きの連続で在日コリアンの母国はどこなのか、アイデンティティはどうなっているのかと、疑問がわきあがったものです。勉強していくうちに世代によって話す言葉も生活様式も変わっていくのを見て、なぜかさびしい気持ちになりました。母国と日本での生活という二つの世界を彷徨っている。本当の居場所が自分たちにもわかっていないのではないかといろいろ考えさせられました。今回の交流会でそのような話も聞きたかったのですが、初対面ということもあり、失礼かと思ったので控えました。きっとまだまだこれからこの出会いが始まっていくんだろうなって思っています。来年、就職活動などで川崎に行く約束はできませんが、またお会いしたいと思っています。これからも元気でいてください。そちらは、寒いでしょうから暖かくして風邪を引かないようにしてくださいね☆
 
「ハルモニたちとの交流会に参加して」 赤嶺玲子
“思い”が先行して、抽象的で曖昧な感想になってしまうがどうかご容赦いただきたい。今回の交流会に参加して、一番印象的だった場面は昼食時間だった。私は2人のハルモニとボランティア(?)の方1人が座る席に相席した。最初、緊張してモクモクと食事をしていたのだが、「せっかくの機会だ。話を聞こう!」と意を決し、ハルモニに質問をひとつ投げかけてみた。緊張していたため、どのように質問をしたか正確には覚えていないが「幼い頃、差別を経験されたことがあるのですか?」といったような問いだったと思う。 私の質問に対し、ハルモニは堰を切ったようにお話してくださった。幼い頃、「日本人」から厳しく差別的な行為を受けた、とおっしゃった。また、話してくださったハルモニ自身のことではないが、とある事例として、次のような話をしてくださった。ある親は、子供が差別を受けないよう、「在日朝鮮人」であることを子供に隠し続けて育てていた。しかしある日、子供が自分の身元を知り、その子はそれを受け入れることが出来ず死を選んだという。どうしてだろうか、このような話を聞いていてなんだかどうしようもなく居心地が悪くなる自分がいた。
私は、このような事実(「日本人」による「在日」の方たちへの差別があった)を、本などを通して知っているつもりだった。しかし、実際にそのような差別を経験した方とお話をして、なんと言うか、心に痛みが走るようだった。本を読むときにも心は痛むけれど、その感覚とはまた違った、人を通して私に流れ込む痛み。
今、私の狭い行動範囲内では、「在日」の方たちに対しての差別行為はない(と思っている)。しかし、私のいる場所から飛行機で2時間余り先では、人が人を抑圧し、差別する行為がいまだに根深く続いているという。その根源は「国家」のようだ。
私の目の前で彼女たちはケラケラと明るい笑顔で笑っていた。みなで楽しそうに歌を歌っていた。目の前の明るさからは、差別を経験したという「影」は見えなかった。帰り際、ボランティアの方が「今はあぁやって明るいけれど、地元では経済的に困難だったり、高齢で一人暮らしだったりと、厳しい暮らしをされている方が多い」とおっしゃっていた。また胸が締め付けられた。
今回、私はハルモニたちと会うことで、彼女たちの経験とのつながりを持てたように思う。出会わなければ、彼女たちの経験は私にとって“本の中の事実”でしかなかったのではないか。しかしこれからは、本を読めば、今回出会ったハルモニたちのことが思い浮かぶだろう。そのことは、私にこれまでよりも深く深く問題を突きつけるはずだ。
最後に、とても単純で安易な感想になってしまうが、やはり出会いはいいものだ、と率直に思う。人と対面し、言葉を交わす、ともに歌を歌う、そしてその人を知るという事は本当に大切だと、改めて思った。彼女たちの問題が私の問題になること、それが今回の交流を通して私が得たものだ。
 
私は生まれて初めて朝鮮族に会いました。今まで朝鮮族に対して良くも悪くもない気持ちを持っていましたが、今回を通してお互いにもっと分かるようになったと思います。一生の思い出になりました。その中でも、あるお祖母さんと親しくなって、ミカンも送ってもらいました。短い時間だったのですが、ミカンはもちろんその誠意に感謝しております。
とにかく、良い経験になったと思います。ありがとうございます。 
尹在烈