同時に、トラヂ会に集う在日コリアン高齢者には光り輝く自分史があり、それを語ることによって、自らの個性を開花させてきました。ひとりひとりの体験は、戦争の悲惨さ、差別の醜さを余すところなく語ってくれています。
 
 李貴名さんは、日本政府の命令で戦争産業のために働かされました。(徴用)北海道の炭鉱に連れて行かれましたが、そこの生活があまりにひどいので、これでは殺されると思い、1週間で山奥に逃げました。命からがら逃げ、1週間隠れとおして、もう食べるものもなく死ぬか生きるかという気持ちで、民家に助けを求め、そこで、救われました。本州に渡りたくても、青函連絡船に乗るためには、協和会手帳という今の外国人登録証のような身分証が不可欠でした。それがないと配給のお米なども手に入りません。北海道でたまたま命乞いしたところで4年間働き、協和会手帳を作って、川崎にやってきました。
 朴順伊さんは、佐渡の鉱山に徴用された夫から、呼ばれて佐渡に行きました。逃亡をなくすため、妻帯者は、妻を呼び寄せさせたのです。そこで、飯炊きの仕事に就きましたが、敗戦間際には、日本の監視もみるみる手薄になり、みんなが逃亡しました。敗戦の数日前に佐渡を出て、川崎にきて、夫は、独立運動、民族運動に邁進し、順伊さんは、家族を支えるために必死に働きました。
   協和会手帳
 佐渡の写真